「彼女は言った。『お祝いをください。わたしにネゲブの地をくださるなら、溜池も添えてください』。彼は上と下の溜池を娘に与えた。」 ヨシュア記15章19節

 15章には、ユダ族に与えられた地の範囲が記されています。それは、ヨルダン川が死海に注ぎ込む河口から西に地中海まで線を引き、その線の南方、死海と地中海に挟まれた地域です。カナンの地の三分の一以上の大きさがあります。父祖ヤコブによる祝福(創世記49章8~12節)が、土地取得の場面にも表れていると考えてよいのでしょう。
 
 13節に、ヨシュアがカレブにヘブロンを割り当て地として与えたことが記されています(14章13節参照)。カレブはアナク人の子孫シェシャイ、アヒマン、タルマイという3氏族を追い出し(14節)、次いで、デビルの町を攻めました(15節)。それを自分が攻め落とすというのではなく、それが出来た者に娘を妻として与えると約束します(16節)。
 
 すると、カレブの兄弟オトニエルが名乗りを上げ、町の占領を成し遂げました。そこで、カレブは娘アクサを妻として与えました(17節)。
 
 アクサは夫となるオトニエルに、父から畑をもらえと言い、アクサ自身はカレブに、冒頭の言葉(19節)の通り、溜池も添えてくれと願います。ネゲブの地はあまり耕作に適さない荒れ野ですから、水の確保は欠かせないのです。カレブはその求めに、「上と下の溜池を娘に与えた」と記されています。
 
 アクサは、父が娘夫婦の求めに必ず応えると信じていたのでしょう。パウロは、「わたしの神は、御自分の栄光の冨に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たして下さいます」(フィリピ4章19節)と言いました。神は豊かなお方で、その豊かさに従って私たちに必要なものを豊かに満たして下さるお方だと、教えてくれます。
 
 二つの池ということで、イスラエルの大きな湖のガリラヤ湖と死海を思います。ガリラヤ湖には多種多様な魚が群れて、漁れた魚の一部は輸出されるほどだそうですが、死海には魚が一匹もいません。塩分濃度が高く、生息出来ないのです。
 
 ガリラヤ湖の水は、ヨルダン川を通じて死海に注いでいますが、死海は、海抜マイナス396メートルで、その水は蒸発する以外、どこにも流れ出ていきませんので、塩分が濃縮してしまうのです。恵みを受けるだけで、与えることをしなければ、その恵みは死んでしまうということを見えるかたちで教えているようです。
 
 ヨハネ福音書には、二つの泉の記述があります。ひとつは4章14節で、「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と記されています。これは、主イエスを信じる者に、命の泉がわき出るというので、主イエスとの交わりによって豊かに活かされるという表現と見ることが出来ます。
 
 今ひとつは7章38節で、「わたしを信じる者は、聖書に書いてある通り、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」という言葉です。生きた水が川となって流れ出るというのは、霊のことと39節に注記されています。つまり、霊の働きは、その人の内から命の水が川となって流れ出るようにさせることだというわけです。しかも、川は複数形です。川々となって流れ出るということで、何という豊かな流れでしょうか。
 
 使徒言行録1章8節に、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたし(主イエス)の証人となる」とあるのはそのことです。即ち、主イエスとの交わりによって生かされている人には聖霊の恵みが与えられ、それは、他の人を生かす働きをする者となるということです。
 
 神の恵みを豊かに受けて、それを他の人のために用いる人は、さらに豊かに与えられるでしょう。恵みを私するなら、それは腐って役に立たなくなってしまうでしょう。信仰によって二つの泉を持ち、常に主の御業に励む者とならせて頂きましょう。

 主よ、主イエスの贖いによって罪赦され、神の子とされ、永遠の命が授けられました。今、私たちの内には聖霊が宿り、御言葉の真理を教え、主の証人となる力を授けて下さいます。主との日毎の交わりが豊かにされ、力を受けて主の御用をまっとうすることが出来ますように。 アーメン