「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。」 ヨシュア記1章7節
 
 今日から、ヨシュア記を読み始めます。ヘブライ語聖書(マソラ本文)では、ヨシュア記は、続く士師記、サムエル記、列王記と共に、「預言者」(ネビーム)の中に分類されています。聖書における預言の役割は、これから起こる出来事を予め語るというよりも、「律法の書」(トーラー)に記されている教えを解説し、それを実行するように命じるものです。
 
 1章には、モーセの後継者としてヨシュアが任命されたことについて、記されています。ヨシュアは、「モーセの従者」(1節)と紹介されているように、レフィディムでのアマレクとの戦いを指揮する者として選出されて以来(出エジプト記17章9節)、忠実なモーセの僕として歩みました(同24章13節、32章17節、33章11節など)。
 
 メリバの水の一件でモーセが約束の地に入れないことになって(民数記20章1節以下、12節)、神はヨシュアを後継者に任命されました(同27章12節以下、18節)。申命記でも、1章38節、3章28節、31章にそのことが記されていました。
 
 ここにあらためて、ヨシュアがモーセの後継者として立てられたのですが、ヨシュアは勿論、モーセではありません。モーセは神に聴き、神に従う「主の僕」でした(申命記34章5節)。ヨシュアも勿論神に従う僕ですが、しかし、冒頭の言葉(7節)で、神がヨシュアに対して、「わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない」と命じられています。つまり、ここではモーセの命じた律法に従うことが求められているのです。その意味でも、実にヨシュアは「モーセの従者」なのです。
 
 モーセは、モアブのピスガの頂から約束の地カナンの全域を見渡しました(申命記34章1,2節)。モーセの従者ヌンの子ヨシュアは、ヨルダン川を渡ってその地を領土とします(4節)。これは、アブラハムと契約を結ばれたことが成就することを意味します(創世記12章7節、15章18節以下)。
 
 主はヨシュアと共にいて、見放すことも、見捨てることもしないので(5節)、「強く、雄々しくあれ」(6節)と命じられます。それは、主が与えると誓われた土地を、民に継がせるためです。
 
 幼稚園では、運動会の練習の際に、「雄々しくあれ」(こどもせいか30番:中田羽後作詞)の讃美歌が歌われます。それはこの箇所からとられた歌です。「雄々しくあれ、強くあれ、少年たちよ」と歌い出しますから、その勇ましさがお互いを鼓舞するのに相応しいということで、いつも選ばれているようです。確かに、子どもたちが声をそろえ、力一杯歌うその歌声を聴いていると、そこから力を頂き、自分も頑張ろうという思いが湧いて来ます。
 
 6節では、外敵との戦いにおいて「強く、雄々しく」あることが求められているようですが、冒頭の言葉(7節)では、律法を守り行うことに、強さ、雄々しさが求められています。御言葉から右や左へそらさせようとする様々な力が働くからです。
 
 イスラエルにとって、飢えや渇きが、御言葉からそらさせる力になることがありました。また、彼らの前に立ちはだかる敵が、神に背かせる力となりました。
 
 主は、「律法を忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する」(7節、申命記5章32,33節)と言われ、続けて、「この律法の書をあなたの口から放すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する」と約束されます(8節、詩編1編2,3節)。

 何事にもまず御言葉に聴き、そこから力を得て、まっすぐに歩む者とならせていただきましょう。

 主よ、あなたの教えを愛し、その導きに従って歩むことの出来る者は幸いです。主を信じ、御言葉に従って歩む者に、豊かな実を結ぶ人生をお与え下さるからです。常に主を畏れ、御言葉を愛する者とならせて下さい。御言葉に従い、右にも左にも曲がらず、まっすぐに歩ませて下さい。御名が崇められますように。 アーメン