葬儀011月4日(月)に、父の葬儀をしました。

初めは、百人も来られないだろうと言っていたのですが、それでは足りないかもという話になって、式次第、会葬御礼の品などを二百用意しました。
絶対余ると思っていたのに、全国各地からおいで下さった160名あまりの来会者のほか、お花料などをことづけられた方々を数えると、二百でも全く足りませんでした。

家族・親族は式次第を二人に一部とし、会葬御礼も、ベタニヤ村教会の方々の分は改めて用意するなどということにせざるを得ませんでした。

多くの方に愛され、支えられた生涯だったことを、そこに垣間見せられました。
そんな方々の思いが集められて、大変温かな葬儀となりました。
 
葬儀02東八幡教会の藤田先生が弔辞で、父のことを「敬愛し、畏敬する先輩」と仰って下さいました。
父は、藤田先生からそのように評されるとは思いもよらないことだったろうと思います。天で、恐縮しているような思いがしました。
藤田先生が日本バプテスト連盟の伝道委員をしておられたとき、父を名古屋開拓(新しく教会を設立する働き)に送り出されたということでした。

私は、名古屋開拓伝道をとおして信仰の導きを得、そして牧師として献身する道が開かれました。
これがなければ、今日の私はないと思います。

子ども7人を抱え、5年で自給独立の教会を作り上げるという課題を与えられ、それは父にとって大変なことだったろうと思います。
しかし、父に「もしうまくいかなければどうする?」と尋ねたとき、「屑拾いをしながらでも、開拓を続ける」という答えが返って来ました。
その時なぜか、大変だという思いはなく、父の覚悟を知って、カッコいいなあと思っていました。
そして5年。
その間、家族が一人増え、子供が8人に。
でも、実際に大変だと思うこともなく、どこかワクワクしながら過ごして、教会組織の日を迎えたことを思い起こします。
父親に反抗している暇などない、楽しい中学生・高校生時代でした。

20数年前、心臓に問題があることが分かった父は、牧師生涯の最後を郷里で過ごす、郷里の人々に福音を伝える務めに導かれます。
90歳を過ぎた母親(私から見れば祖母)や長兄、長姉をはじめ、家族親族が次々と信仰に導かれました。
父が献身を決意したのは、郷里に福音を伝えたいという思いだったので、その願いが叶えられたのです。

心臓で入退院を繰り返し、11年前に心臓の弁を取り換え、冠状動脈にバイパスを作る大手術。
直後、ペースメーカーもつけました。
動脈乖離という死の谷も通りました。
その都度守られたのは、背後の祈りと、まだ使命があるという神の御旨だったのでしょう。

その後、道を後進に譲って引退し、7年前に福岡に移り住みました。
市営住宅での生活でしたが、両親ともに心臓が弱って来たことから、妹夫婦が同居を決断、別の妹も加わって、3家族の共同生活をしていました。

葬儀03そういう中で、高松常磐町教会の伝道開始50周年記念、東八幡教会の教会組織50周年記念の集会に講師として呼ばれ、メッセージをしました。
父の説教が長いのは有名だったと思います。
弔辞で、南名古屋教会の的埜兄、東八幡教会の奥田先生が言われたとおりです。
 


葬儀04私も、父の説教の内容は殆ど覚えておりませんが、話が長かったこと、よく説教中に寝ていたことは、忘れられない思い出です。
ただ、十字架にかかって贖いの死を遂げられた主イエスを仰ぎ、その福音をまっすぐに語り続けていました。

6年前の2003年10月に行われた高松の記念集会には、私が同行しました。
講壇に立った父は、すぐに原稿を離れて話し始めました。
これは、長くなるなあと思いました。
予定時間の大半をそれで過ごしました。
どうするんだろうと思いました。
結局、最後に予定の原稿の結論部分だけを話して、講壇を降りました。 時間を気にし、段取りを大切にする人には、許せない暴挙のように思われるかもしれません。
しかし、高松教会の方々は、それを喜んで下さいました。
代表執事?だった今は亡き小森平兄が喜んで下さっていた姿を思い起こします。
社交辞令もあり、すべてを額面通りには受け取れないとしても、私は父の説教を聞き終えて、そこで語るべき言葉が語られた、確かに父はその日、神に立てられた説教者だったと思いました。
話の内容はどうでもよいとは言いませんが、神を信じ、その福音を心底喜んでその喜びを伝えようとする父の思い、その福音を受け取ってほしいと願う父の祈りに偽りはない、その真実に心打たれるんだなあと、今も思います。

最期の時、教会の礼拝に参加することが父の喜びでした。
最後の礼拝出席は、危篤になる直前の12月20日、それはクリスマス礼拝でした。
 
葬儀05広田兄が、教会に来た時はくたびれた表情をしていたのに、教会を出るときには喜びの表情になっていたというように、仰って下さいました。

臨終前に見せたのも、祈りや賛美、聖書の言葉によって強められ、平安を与えられる姿・表情でした。
信仰が父の生き甲斐だったわけです。
 
葬儀06その教会で告別式を営んでいただくことが出来、多くの方にお見送りいただくことが出来て、父は本当に幸せだったなあ、自分たちもそれに肖りたいなあと思います。

最後に、父さん有難う。
皆様、ありがとうございました。