熊本城01幼稚園児が、「わたしね、くまもとじょうにいったんだよ。じょうってね、おしろのことなんだよ」と教えてくれました(平仮名だらけの文章は読みにくいでしょう?!)。
そうか、熊本城か。
というわけで、熊本城に行ってみました。

随分前に熊本城まで行ったときは、天守閣には昇らず仕舞いだったので、今回は、天守閣に昇る目的で行きました。

三の丸駐車場に車を駐め、二の丸広場を横切り、西大手門から城内に入ります。
大手門の手前に料金所がありました。
大人500円、小中学生200円です。
“安い”と思いました。

大手門を入ってから、宇土櫓、数寄屋丸2階広間、そして、本丸御殿を見学しました。櫓は防御のため、数寄屋丸は文芸活動のため、本丸御殿は台所、城主の居室として設けられたものです。
それから、天守閣に入りました。
それぞれの施設は、博物館としての役割を果たしています。
天守閣の1階は、加藤家時代の資料、2階は、細川家時代の資料、3階は、西南の役の関係資料が展示されています。

熊本城は、茶臼山と呼ばれるところに、加藤清正が1601年に着工、1607年に完成させたものです。
熊本城の城郭の広さは約98ヘクタール(東京ドーム20個分とか)、周囲は5.3㎞もあります。

一説には、豊臣家に事あるときには、秀頼をここに迎えて西国大名を率い、徳川家康とことを構えるため、ここに巨大要塞を築いたという話があります。
写真左奥の小天守は、大天守閣完成後、秀頼を迎えるために築いたものだそうです。


熊本城02天守閣最上階は、熊本市を一望し、遠く阿蘇の山並みまで眺めることの出来る展望所になっています。

写真は、城の東方に広がる熊本市街地、奥は阿蘇の山並みです。

天守閣は、1960年に総工費1億8千万円をかけて鉄筋コンクリート造りで再建されました。
ちょっと残念かな。

熊本城は、西南の役のとき、籠城を覚悟した熊本鎮台司令長官・谷干城(たに・たてき)が自ら放ったと言われる火で、天守閣、本丸御殿などを焼失していました。

天守閣を失ってもというべきか、天守閣を失ったからこそというべきかよく分りませんが、熊本城を攻める13000の薩摩軍に対し、3500の守備隊がよく戦って52日間籠城し、結局入城を許しませんでした。
西郷隆盛が「ワシは官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」と言ったという逸話が残されているそうです。
これは、清正が築いた熊本城が、難攻不落の名城であるということを、名実共に実証した出来事です。

因みに、加藤清正は450年前の1562年6月24日、愛知県は名古屋の中村に生まれました。
主君・豊臣秀吉(1537年2月6日生まれ)と同郷です。
安土桃山時代を代表する三大英傑の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が共に愛知県の出身というのは、歴史の不思議です。

ついでながら、我が愛する妻も名古屋の生まれです。
愛知の大学に通っているときに知り合いました。
そんでもって、東京に嫁した娘も名古屋生まれです。