今日は、107年前の1902年、俳句や短歌の世界で革新的な運動を展開し、肺結核、脊椎カリエスのために35歳という若さでこの世を去った正岡子規の召天記念日です。
表題の「子規忌」とは、そのことです。

子規は、松山藩士・正岡常尚の長男で、本名は「常規(つねのり)」、幼名を「升(のぼる)」といいます。「子規」とは、ホトトギスのことです。ホトトギスは口の中が赤くて、血を吐くまで鳴くということから、結核で喀血する自分をホトトギスにたとえて、子規という俳号をつけたそうです。

次の「糸瓜忌(へちまき)」とは、子規の辞世の句

 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
 痰一斗糸瓜の水も間にあはず
 をとゝひのへちまの水も取らざりき

から、命日をそのように呼びます。


子規は、無類の野球好きで、幼名にちなみ、「野球(のぼーる)」という俳号をつけていたことがあります。「Baseball」を「野球(やきゅう)」と訳したのは、中馬庚(ちゅうまん・かなえ)ですが、子規は、中馬よりも先に「野球」という号を使っていたのです。子規のポジションは捕手、1889年に喀血して倒れるまで、野球に親しんでいたそうです。

 草茂みベースボールの道白し
 まり投げて見たき広場や春の草


上のような、野球に関係する俳句を詠んだり、短歌を作ったりして、文学によっても野球の普及に貢献したということで、7年前(2002年)、野球殿堂入を果たしました。

伊予鉄・松山市駅の近くに子規堂があります。これは、子規の文学仲間だった仏海禅師のお寺(正宗寺)の境内に、子規が17歳まで過ごした住まいを復元してつくった資料館です。子規と野球の関係を示す資料や、子規と親交の深かった夏目漱石に関する原稿などが展示されています。

また、道後温泉の入り口近くには、子規記念博物館があります。
松山市のサイトに、記念博物館のページがあります。
URL http://www.city.matsuyama.ehime.jp/sikihaku/
サイドメニューの、「キッズしきはく」をクリックすると、博物館の中の様子、展示の内容などを見ることが出来ます。

JR松山駅前には、「春や昔 十五万石の城下哉」の句碑が建っています。

正岡子規や高浜虚子、河東碧梧桐といった俳人の息づかいが今に伝わる愛媛・松山に、私は1986年4月から8年間住みました。あちこちに俳句の投句ポストがあるのを目にはしておりましたが、実際に俳句を作ってみたことはありません。


私は生まれつきおしゃべりで、小学生時代、あまり五月蠅くしゃべり続けているので、担任教師から、「今日は一日、原田とは口を利くな。無言の行をさせる」と叱られたことがあり、それでも、黙っていられなかったという記憶があります。

そんな自分だからとは、文学的な才能のなさの言い訳ですが、17文字で自分の感動を表現するというのは、およそ苦手というよりも、殆ど不能の世界です。