教役者会019月7日午後、山鹿伝道所で大牟田・熊本ブロック教役者会が開かれました。

第一部は礼拝で、山鹿伝道所の船越先生にメッセージを語っていただきました。
聖書は、列王記上19章7~9節、説教題は示されませんでしたが、先生が強調されたのは、「エリヤよ、ここで何をしているのか」という箇所でした。

読み方によって叱責にもなれば、励ましを与えたり、私たちに大切なことを気づかせる言葉ともなります。

先生のメッセージを伺いながら、あらためて主の御言葉に耳を傾け、自分が立つべきところ、自分に与えられている使命とは何か、考えさせられました。

そして、説教後の分かち合いで船越夫人が、牧師には命の御言葉を語るという尊い使命が与えられているので、「何をしているのか」と問われるのだろうと仰った言葉が心に留まりました。


教役者会02その後、南九州バプテスト大会の反省や、有明教会から出された研修会依頼についての意見交換などを行いました。

写真のとおり、今回は少し集まりが悪かったのですが、その文和気藹々と色々な方面に話が弾み、心和んだ一時でした。

次回は11月16日(月)、熊本南教会を会場に行うことを決めて、散会となりました。


追伸
電子アパルームを開いたら、今日の箇所は、列王記上19章1~18節でした。

 「(エリヤは)自分の命が絶えるのを願って言った。『主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。』」 列王記上19:4
 
 私は職を失いました。6ヶ月の求職活動の後、家から4,000 キロも離れたところに職を見つけました。妻と子供たちは、この仕事が続くかはっきり分かるまでここに留まることになりました。一人暮らしの初めの3ヶ月は悪夢のようでした。新しい仕事を頑張らなくてはいけない時でしたが、家族が恋しくてなりませんでした。私は孤独と挫折を感じ、絶望感の中で泣きました。
 
 こんな時だからこそ、私はエリヤを自分のことのように理解することが出来ます。エリヤは死んだ子供を生き返らせるため、雨を止めるため、火を天から降らせるために神によって力を与えられましたが、その後イゼベルはエリヤを殺すことを誓いました。
 
 恐怖と重圧がエリヤにのしかかりました。絶望の中にある偉大な預言者を見、エリヤの物語の終わりを知るとき、この話は、私にとっての希望を意味していることに感謝します。金銭問題、家族の病気、仕事のストレス、心の中の葛藤などの抑圧が私に挫折感を与えるとき、私たちはエリヤの話と、そこで神がどのようにエリヤを優しく見守られたかを思い出すことが出来るのです。
 
 そのための一つの方法は、日々聖書を読むことです。それによって私たちは勇気づけられ、もっと神の声に耳を傾けるようになります。私たちが祈りの中で傷みを訴え、クリスチャンの友を求める時、神は憂鬱の暗い谷を歩む私たちを助けて下さいます。エリヤは復帰して再び神に仕えるようになりました。絶望を感じるとき、私たちも神にすがり、希望を見出すことが出来ます。

祈祷:主よ、私たちが打ちひしがれている時、あなたの臨在を感じるようお助け下さい。アーメン。

今日の黙想 問題によって重圧を感じることがありますが、神は打ちひしがれることはありません。 トム・スミス(ユタ州)

祈祷の焦点:神に寄り頼むために


神の導きを感じました。