「死んだ蠅は香料作りの香油を腐らせ、臭くする。わずかな愚行は知恵や名誉より高くつく。」 コヘレトの言葉10章1節

 10章は、まるで箴言を読んでいるかのように格言が並んでおり、これまでのコヘレトとは別人のような語り口になっています。9章18節の「知恵は武器にまさる。一度の過ちは多くの善をそこなう」という言葉に啓発されて、知恵の言葉をここに示しているようです。

 そのはじめに、「死んだ蠅は香料作りの香油を腐らせ、臭くする」という冒頭の言葉(1節)が記されています。香料を作っている工程のどこかで、一匹の蠅がそこに入り込み、死んでしまいました。早く気がついてそれを取り除かなければ、それがもとで高価な香油を全部台無しになってしまいます。

 ここで、香油が知恵や名誉、そして、死んだ蠅は愚かな行為を表しています。これくらいなら、かまわないだろうという小さな油断、落とし穴、愚かな行為が、その人の一生のよい働きを台無しにしてしまうということです。

 ある鉄道会社の駅長さんが、釣銭をごまかして着服しました。最初はすぐに返すつもりだったのでしょうけれども、誰にも咎められず、そのままになってしまいました。それに味を占めたのか、そういうことを何度か繰り返しているうちに、ついに発覚。それが駅長の犯行と分かり、すぐさま懲戒免職となりました。

 地位も名誉も、そして退職金もふいにし、老後の計画が水の泡となってしまったことでしょう。なぜ、そんな馬鹿なことをしてしまったのでしょうか。まったく割の合わない話ですけれども、これは時折聞く話です。

 額が小さかったから、罪の意識も小さかったわけです。このごく少額の釣銭のごまかし、その罪意識の小ささが、まさに、知恵や名誉よりも高くついてしまったわけです。

 誰も、自分のことを自分で言うほどに愚か者だと考えている人はいないでしょう。自分の行いを愚行とは考えないでしょう。むしろ、賢いとさえ考えています。

 3節に、「愚者は道行くときすら愚かで、だれにでも自分は愚者だと言いふらす」とありますが、私は今まで、「自分は愚者だ」と言いふらす愚者に出会った経験はありません。むしろ、「私は知者だ」と言いふらす人や、「ほかの者は皆愚か者だ」と言いふらす人のことを、知恵の足りない人だと考えます。

 その意味で、自分は愚者だと言いふらすことにならないようにするためには、まさに、私は知恵が足りませんから、教えて下さい、と謙遜に語ることです。思いあがっているときには注意散漫になり、思わぬ失敗をするものです。

 私は口数が多く、言葉の上で何度も失敗しています(13,14節参照)。その度に、とても恥ずかしい思いをしてきました。周囲の人々にも、どれだけ迷惑をかけたことでしょうか。確かに、私には知恵が足りません。もっともっと身の程を知る必要があります。

 ヤコブ書1章5節に、「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます」、という言葉が記されています。

 箴言に、「知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら、・・・あなたは主を畏れることを悟り、神を知ることに到達するであろう。知恵を授けるのは主。主の口は知識と英知を与える」(2章2,5,6節)という言葉もあります。

 憚ることなく主の御前に進み、日々主の御言葉に耳を傾け、その口から出る一つ一つの言葉に従って生きる者とならせて頂きましょう。

 主よ、あなたは創造者であり、すべてを形づくり、確かにされる方です。あなたは、「わたしをを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる」、と言われました。絶えず、あなたを呼び求めます。御心を示し、それを実行する知恵と力とを授けて下さい。 アーメン