昨日、調清子夫人が肺炎のため召天されました。
栄光のうちに天に凱旋されたと申し上げたいと思います。
調夫人は、下瀬加守牧師の三女で、米国・南部バプテスト女子神学校を卒業して、西南保姆学院(現西南学院大学人間科学部児童教育学科)開設に伴い、専任教員となられました。
その後、調正路牧師と結婚され、戦時中は福岡、長崎、下松などで生活されます。
敗戦後、西南女学院女子専門学校(現短期大学部英語学科)に就職された後、調先生に伴って、大牟田バプテスト教会、熊本バプテスト教会で奉仕をされました(調先生は、戦後、松村牧師に次ぐ大牟田教会・二代目牧師として、夫人と共によい働きをなさいました)。
1955年より、調先生ご夫妻は、連盟から米国統治下の沖縄に派遣され、首里バプテスト教会を中心とした宣教活動に従事され、その後、連盟から離れて那覇で自給・開拓伝道に着手されます。
そのときに夫人は、沖縄クリスチャンスクール、沖縄キリスト教短期大学で教鞭をとられました。
1990年、調牧師が発病されて、福岡に帰郷。
1997~2002年、調先生と共に、腹話術「ヨシュア傘従士」(ご夫妻が傘寿を迎えられたことと、ご夫妻と腹話術の人形との三従士とをかけて)による全国行脚伝道を行われます。
2004年7月20日に調先生が召天され、夫人も翌年11月に脳梗塞で入院されて、闘病生活が続けられていました。
個人的に親しくお交わりすることはありませんでしたが、私たちが福岡にいる間、時折、車でご一緒に牧師会などに出かけたり、超教派の朝祷会からの帰りにご自宅にお送りしたりでご一緒する機会がありました。
ご夫妻の仲睦まじい様子、また、奏楽をされるなど奉仕の際の夫人の柔和の中にも凛とした姿が、いつも印象的でした。
92年の生涯を全うされ、主の御許に召された調夫人は、まったき平安のなかにあり、先に召された調先生と共に、栄光に輝く主の御座の前で賛美をささげておられると信じます。
その信仰に倣い、私たちも主から委ねられた使命に邁進し、義の冠をかぶらせていただくときまで、主に従って忠実に歩ませていただきたいと思います。