「『敵には人の力しかないが、我々には我々の神、主がいて助けとなり、我々のために戦ってくださる』。民はユダの王ヒゼキヤの言葉に力づけられた。」 歴代誌下32章8節

 1節に「これらの真実な事を行った後、アッシリアの王センナケリブが攻めて来た」と記されていますが、ここで歴代誌が「これらの真実な事を行った後」というのは、ヒゼキヤが神を求めて始めたすべての事業を成し遂げた後(31章21節)、つまり、29年間の治世の終わりということになるでしょう。

 しかし、列王記下18章13節によれば、センナケリブの攻撃はその治世14年のことで、ヒゼキヤはその後15年間イスラエルを治めています。つまり、この出来事の後の方が長いのです。また、センナケリブがユダの砦の町をことごとく占領したこと、それを見たヒゼキヤがセンナケリブに詫びを入れ、賠償する意志を伝えています(同14節)。

 歴代誌の著者は、歴史的事実や年代的な関心によらず、これまでの忠実な信仰により、主なる神がいかにヒゼキヤを祝福されたのかということを、センナケリブの攻撃やヒゼキヤの死の病に対して主がどのように対処してくださったのかということで、読者に対して例示しようとしているかたちです。

 アッシリアとの関係について、父アハズの代に、アラム・エフライム(北イスラエル)連合軍の攻撃を受けた際、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに貢ぎして救援を求めて以来、主従の関係が生まれていました(列王記下16章5節以下)。

 ところが、ヒゼキヤは、アッシリアの王の代替わり(北イスラエルを滅ぼしたシャルマナサルからセンナケリブへ)を契機に、アッシリアに服従し、貢ぎを収めることをやめたのです(同18章7節)。その背後に、主がヒゼキヤと共におられて、彼の企てることがすべて成功したということがありました。

 ユダに侵攻し、砦の町々に対し陣を張ったアッシリア軍に対し、ヒゼキヤは将軍や勇士たちと協議して、町の外にある泉の水をせき止めることにしました(1~3節)。所謂ヒゼキヤ・トンネル(地下水道)を掘り、シロアムの池に泉の水を引き込んだわけです。また、城壁を修理して塔を立て、外側にもう一つの城壁を築きました(5節)。そうして、町の守りを固めました。

 ただ、アッシリアの布陣を見てからそれらのことを始めたのでは、とても間に合う話ではありません。二重の城壁も、守り固めというより、エルサレムの住民が増えて、町を広げる必要があったからということのようです。いずれにせよ、主の祝福を受けて、そうしたことも行うことが出来たわけです。

 センナケリブがヒゼキヤとユダの民に使者を遣わし(9節)、「ヒゼキヤに欺かれ、唆されてはならない。彼を信じてはならない。どの民、どの国のどの神も、わたしの手から、またわたしの先祖の手からその民を救うことができなかった。お前たちの神も,このわたしの手からお前たちを救い出すことはできない」(10節以下、15節)と言わせました。あからさまな挑発、主なる神への挑戦です。

 それに対するエルサレムの民の反応について、歴代誌には何ら記されていませんが、答えるなという王の戒めに、ユダの人々は押し黙っていたと、列王記下18章36節に記されています。答えることが出来ないほど怯え、震え上がっていたのいうのが実態かも知れません。

 それでも、ヒゼキヤによって主なる神を信じる信仰を生活に根付かせるようにされていたので(6~8節、31章20,21節)、神を嘲るセンナケリブの言葉に対して、その武力に怯えながらも、主なる神を畏れつつ王に従う心に変化は見られなかったということだと思います。

 ヒゼキヤは民に「強く雄々しくあれ、恐れてはならない、おじけてはならない」(7節)と命じていました。その根拠は「我々と共においでになる方は、敵と共にいる者より力強い」(7節)ことであり、そして、冒頭の言葉(8節)のとおり、「敵には人の力しかないが、我々には我々の神、主がいて助けとなり、我々のために戦ってくださる」ということです。

 5節に「意欲的に」と訳されているのは、「強くあれ」(ハーザク)と同じ言葉の再帰動詞(直訳すれば「自分自身を強くする」)です。そもそも、ヒゼキヤという名前も、「主は強めたもう」という意味です。主に信頼して自分自身を強くされたヒゼキヤが、主に信頼して強くあれと民に命じていたわけです。

 センナケリブは、イスラエルの神に対してアッシリアの神の名で戦っているというのではなく、自分の手、自分たちの力で行って来たと繰り返し語っていました(13節以下)。それに対するヒゼキヤは、自分の手、自分たちの力で立ち向かうのではなく、「我々のために戦ってくださる」(8節)主なる神に祈り、天に助けを求めて叫ぶのです(20節)。

 このとき、預言者であるアモツの子イザヤも、ヒゼキヤ王と共に祈っているようです。それはしかし、列王記下19章、イザヤ書37章によれば、ヒゼキヤから祈りの要請を受けて、イザヤが主の託宣を求めたということでしょう。

 主はこの祈りに答え、御使いを遣わし、アッシリア軍を全滅させられました(21節)。完全に面目を失ってしまったセンナケリブは、傷心の内に帰国しました。そして、ニネベにあるアッシリアの神の神殿に来たところを、王子たちの謀反で殺されてしまいます(21節)。

 自分の手、自分たちの力を過信していたセンナケリブは、思い上がって、「お前たちの神は、わたしの手からその民を救うことができるというのか」(14節)と語っていましたが、その彼が神殿で自分の子らに殺されるというのは、なんという皮肉なことでしょう。

 神殿に詣でたのは、敗戦の痛手を癒し、再び立ち上がってイスラエルに報復する力を神に求めようとしていたのでしょう。しかるに、彼が嘲ったイスラエルの神、主は、センナケリブの手からイスラエルを救いましたが、イスラエルの神を嘲ったセンナケリブは、自分の拝む神の助けを得るどころか、自分の子らにその神殿で殺されてしまったのです。

 「アッシリア王とその全軍団を見ても、恐れてはならない。おじけてはならない。我々と共においでになる方は、敵と共にいる者より力強い。敵には人の力しかないが、我々には我々の神、主がいて助けとなり、我々のために戦ってくださる」(7,8節)と語ったヒゼキヤの言葉を日々心に響かせ、主の力に強められつつ信仰の正道を歩みたいと思います。

 主よ、我が国の政権は、憲法改正に向けて粛々と歩を進め、積極的平和実現のためというまやかしをもって戦争が出来る国となろうとしています。国際的な諸課題を、武力によらず平和的協議によって、一つずつ解決することが出来ますように。そのことで、共にキリストの十字架を仰がせてください。御旨が行われますように。地に平和が実現し、天に栄光がありますように。 アーメン