「ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず王と食事を共にすることとなった。」 列王記下25章29節

 ヨヤキンは、攻め上って来たバビロンの王ネブカドネツァルに降伏し、家族や高官たちと共に、捕囚としてバビロンに連れて行かれました(24章12節以下)。ヨヤキンは18歳で王となり、3か月間王位にありました(同8節)。

 父ヨヤキムのとき、バビロンがエルサレムに攻め上って来て、服従を余儀なくされましたが、3年後にヨヤキムは反逆しました(同1節)。ヨヤキムが36歳の若さで世を去ったのは(23章36節参照)、国内の親バビロン派による暗殺という説があります。

 代替わりのころバビロンが攻め上って来て、3か月ほど持ちこたえたものの(24章10節以下)、結局父親の遺した置き土産のために、ヨヤキンがその責任を負わなければならなくなったのです。こうして、ヨヤキンをはじめ、主だった者たちが捕虜として連行されたのを、第一次バビロン捕囚と呼びます。紀元前597年頃に起こりました。

 バビロン王ネブカドネツァルは、ヨヤキンの代わりに叔父マタンヤを王とし、その名をゼデキヤと改めさせました(同17節)。ところが、何を考えたのか、ゼデキヤがバビロンに反旗を翻したのです(同20節)。

 エゼキエル書17章11節以下の預言によれば、ゼカリヤはその時、エジプトの援軍をアテにしていたようです。そのため、エレミヤの告げる預言を無視して(エレミヤ書27章以下)、主に背いた報いを受けるのです。

 24章20節の「エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついにその御前から捨て去られることになった」という言葉から、バビロンに反旗を翻したのは主がユダを撃つための手立てだったのではないでしょうか。あるいは、主の導きに対して頑なになって、滅びを刈り取る道を進んでしまったのかも知れません。

 ゼデキヤの治世第9年にバビロン軍がエルサレムにやって来て陣を敷き、周囲に堡塁を築きます(1節)。エルサレムを包囲して兵糧攻めにしたのです(2節)。三方を谷に囲まれて、シオン(要害)と呼ばれていたのはだてでなく、一年余りも持ちこたえます(1,2節参照)。

 けれども、やがて兵糧がつき、飢えが厳しくなって都の一角が破られたのを見たゼデキヤは、夜陰に乗じて都を捨て、逃げ出します(3,4節)。「アラバに向かって行った」(4節)とは、ヨルダンの低地に向かっていたということで、ギレアドの地から隣国アンモンへの逃亡を目論んでいたのでしょうか。

 しかし、エリコの荒れ地で捕らえられ、リブラにいたバビロン王ネブカドネツァルのもとに引き出され、裁きを受けました(5,6節)。目の前で王子たちが殺され、そして両眼がつぶされ、足枷がはめられて、バビロンまで連行されました(7節)。

 エルサレムの都は、神殿や王宮、すべての家屋が焼き払われ(8,9節)、城壁が取り壊されました(10節)。また、貧しい民の一部を除いて、他の者は皆捕囚としてバビロンに連れ去られました(11,12節)。これを、第二次バビロン捕囚と呼びます。紀元前587年ごろのことです。

 第一次補囚の597年を「いくな」、第二次補囚の587年を「いやな」と読むと、覚えやすいでしょうか。

 バビロン王は、イスラエルに残した者たちの上に、ゲダルヤを総督として立てました(22節)。ゲダルヤは、ヨシヤ王の書記官シャファンの孫で(22章3節)、父アヒカムと共に、預言者エレミヤを守りました(エレミヤ書26章24節、39章14節)。主なる神を信じて、王に仕え、預言者に仕える家系です。

 ゲダルヤは、彼のもとに集まって来た人々に、「この地にとどまり、バビロンの王に仕えなさい。あなたたちは幸せになる」(24節)と誓って語ります。この言葉の背後に、預言者エレミヤの指導があったと思われます(エレミヤ書39,40章参照)。

 ところが、王族の一人、ネタンヤの子イシュマエルが、ゲダルヤを暗殺してしまいます(25節)。それは恐らく愛国心から出た行動だったと思われますが、しかし、総督を殺してしまったことでバビロンによる報復を恐れ、彼らはイスラエルを捨て、エジプトに向かって出発します(26節)。

 アブラハムの子イシュマエルは、妻サラのエジプト人の仕え女ハガルが産んだ子でした。イシュマエルのゆえに、エジプトに逃げるというのは、偶然の一致でしょうけれども、面白い歴史の巡り会わせです。このあたりの出来事は、エレミヤ書40~11章にもう少し詳しく記されています。

 主なる神の憐れみによってエジプトの奴隷の苦しみから解放され、約束の地に住むことが出来たイスラエルの民が、恩知らずにも主に背いてその怒りを買い、再びエジプトに逃れるのです。主の恵みを私し、主の掟を蔑ろにする者たちのなれの果てです。でも、私には彼らを笑うことが出来ません。他人のことを言えた義理ではないからです。

 一方、最初に捕囚とされたユダの王ヨヤキンは、37年の長い獄中生活の後、新たにバビロン王となったエビル・メロダクに情けをかけられました(27節)。新王の即位に伴う恩赦ということでしょう。

 エビル・メロダクはヨヤキンを獄から出し、捕囚の身となっていた他の王たちの中で最高の位を与え(28節)、さらに、冒頭の言葉(29節)のとおり、毎日欠かさず一緒に食事をするようにしたのです。「獄中の衣を脱ぎ」ということで、古い囚われの生活から新しい自由な生活へ移されたことが示されます。

 18歳で王となった途端、バビロンとの戦いを指揮することとなり、3か月の籠城の後、捕囚となって37年を過ごして来たヨヤキンにしてみれば、なぜそのような恵み、光栄に与ることが出来るようになったのか、全く訳が分からなかったのではないでしょうか。それこそ、一方的に与えられた驚くべき恵み(Amazing Grace)です。

 ここにも、主がユダに与えたのは、災いではなく平和の計画であり、将来と希望を与えるものである(エレミヤ29章11節)という預言の成就を見ることが出来ます。主はユダを滅ぼしたかったのではなく、むしろ、主の恵みの内を歩ませたいと願っておられるのです。だから、将来に向け、希望と平安を与えるために、ご自分のもとに立ち帰るよう待っておられるということです。

 私たちも、王の王、主の主であられるイエス・キリストの憐れみによって罪赦され、解放されました(ローマ6章18節、8章2節)。主を信じる信仰により、神の子となる特権に与りました(ヨハネ1章12節)。古い自分に死に、主と共に新しい命に生かされています(ローマ6章4節、第二コリント5章17節)。

 そして、日毎に信仰の養いを頂いています。やがて御国に召されたときには、主と共に食卓を囲むことが出来ます(マタイ26章29節参照)。

 常に主の御前に謙っていのちのみ言葉に与り、霊と真実をもって主を礼拝する者とならせていただきましょう。

 主よ、どんなときにも安らかに主を信頼していることが出来ません。艱難に襲われるとき、危機に遭遇すると、我を忘れてしまいます。弱い私を顧み、試練に遭わせないで、悪しき者から救い出してください。人知を越えた主の平安をもって、私たちの心と考えを守ってください。お言葉どおり、この身になりますように。主の恵みと平安が豊かにありますように。 アーメン