「彼は言った。『外に行って近所の人々皆から器を借りて来なさい。空の器をできるだけたくさん借りて来なさい。』」 列王記下4章3節

 4章には、「エリシャの奇跡」という小見出しがつけられています。そこには、負債からの救済(1~7節)、死から命へ(8~37節)、有害物質の除去(38~41節)、百人の給食(42~44節)という、エリシャによってなされた四つの奇跡が記されています。いずれも、死から命へ、絶望から希望へという共通のテーマを持っています。

 最初の「負債からの救済」という奇跡は、預言者仲間の一人が亡くなり、その後、債権者がやって来て、子ども二人を負債のかたに連れ去り、奴隷にしようとしていると、その預言者の妻が訴えたことに対して(1節)、エリシャが行ったものです。

 エリシャが、あなたの家に何があるのかと尋ねると、彼女は「油の壺一つのほか、はしための家には何もありません」(2節)と答えます。彼女の家に残っているものは、本当にごく僅かです。家財道具から一切合財、債権者に持って行かれたというところでしょうか。油の壺一つだけでは、殆ど何の助けにもなりません。

 けれども、それを聞いたエリシャは、「外に行って近所の人々皆から器を借りて来なさい。家に帰ったら、戸を閉めて子供たちと一緒に閉じこもり、その器のすべてに油を注ぎなさい。いっぱいになったものは脇に置くのです」(3,4節)と彼女に告げました。

 そこで、彼女は家の戸締まりをし、二人の子らは空の器を集めて来ました。そして、彼女が集められた空の器に壺の油を注ぎます(5節)。驚くべきことに、壺の油は尽きません。集められた器はすべて満たされました。「もっと器を持っておいで」と彼女が言うと、子どもたちは「器はもうない」と答えました。すると、油は止まりました(6節)。

 それを神の人エリシャに報告すると、エリシャは「その油を売りに行き、負債を払いなさい。あなたと子どもたちはその残りで生活していくことができる」(7節)と言いました。

 アハブの御世、3年にわたる旱魃が続いている中、サレプタの貧しいやもめを、エリヤが救ったことがありました(列王記上17章8節以下)。そのとき、底をついていた壺の粉と瓶の油が、その後、再び雨が降って地に実りが与えられるまで、幾日食べてもなくならないという奇跡が行われました(同16節)。

 また、ギルガルの地が飢饉に見舞われていたとき(38節)、一人の男が初物のパン、大麦パン20個と新しい穀物を袋に入れて、エリシャのもとに持って来ました(42節)。それを人々に与えて食べさせるよう命じると、「食べきれず残す」(43節)と言われた主の言葉のとおり、百人もの人がそれを食べて食べきれず、残すという奇跡もありました(44節)。

 これらの箇所に見る、ごく僅かなものですべての必要を満たされただけでなく、多くのものが余るというのは、男だけでも5000人いるという大群衆の腹を五つのパンと二匹の魚というごく僅かなもので満たし、残りを集めると、12の籠に一杯になったという、主イエスが行われた奇跡の物語を思い起こします(マルコ6章30節以下など)。

 また、この出来事から、主の恵みについて教えられます。彼女らには、負債を返す力がありませんでした。だれかにその負債を肩代わりして貰わない限り、子どもを奴隷として売るしかなかったのです。しかも、負債を返し終えさえすれば、それでよいというわけではありません。

 そもそも、預言者の夫が負債を残して亡くなり、それが返せなかったわけです。負債がゼロになっただけでは、明日からまた借金生活が始まってしまいます。だから、借金がゼロになった後の生活がきちんと出来る仕組みや備えが必要なのです。

 私たちの信仰において、負債とは罪のことです(ルカ11章4節参照)。粉飾して、負債などないという顔をしている人でも、神の御前に、負債のない人、罪を犯したことがないと言える人などいません(詩編14編1節以下)。

 そして、誰も自分の力ですべての負債を返すことができません。だから、神の御子キリストが十字架にかかり、私たちの負債をすべて、支払ってくださいました。けれども、借金体質がそのままでは、再び借金生活に逆戻りです。そうならないように、収入を確保できる仕組み、借金を産まない体制が必要です。

 主なる神は私たちに、別の助け主として真理の御霊、聖霊を送ってくださいました。私たちは、私たちといつまでも共にいてくださる聖霊の力を受けて、新しい歩みをすることが出来るのです(ヨハネ14章16,26節、15章26節、16章8節以下)。主イエスを信じて罪赦された今、聖霊の満たしと導きを求めましょう。

 もう一つ、預言者エリシャが隣近所からたくさんの空の器を集めさせ、その器を油で満たしました。そして、すべての器を満たしたとき、油は止まってしまいました。空の器がなくなったからです。用意された器の分だけ、油が注ぎ出されました。

 ここで、器は私たちの必要であり、壺の油はそれを満たす主の恵みであると考えます。私たちが器を満たしてくださいと主に祈り願うと、主はその祈りに答えて、恵みを注いでくださいます。隣近所から空の器を集めなさいというのは、家族や隣人の救いを求め、恵みを求めて執り成しの祈りをせよということにもなるでしょう。

 空の器を主のもとに持ち出せば、すべて恵みで満たして頂くことが出来ます。集めた器をすべて満たせば、油は止まってしまいます。無尽蔵の主の恵みで、家族親族、知人友人が満たされるよう、祈り願いましょう。そうして、日毎の御言葉と祈りを通していただいた恵みを、隣人のために用いさせていただきましょう。

 主よ、日々御言葉を通して新たな恵みを示してくださり、感謝します。私たちの家族、隣人がすべて、主の救いの恵みに与りますように。心も体も健康で、日々充実した生活が出来ますように。生活の必要がすべて満たされますように。仕事が祝されますように。そのことを通して、いよいよ主の御名が崇められますように。 アーメン