「エリシャは言った。『わたしの仕えている万軍の主は生きておられる。わたしは、ユダの王ヨシャファトに敬意を抱いていなければ、あなたには目もくれず、まして会いもしなかった。』」 列王記下3章14節

 アハブの死後、モアブの王メシャがイスラエルに反旗を翻しました(4,5節、1章1節)。アハブの子ヨラムは、ユダの王ヨシャファトに援軍を頼みます(6節以下)。彼らはなぜか、エドムの荒れ野を迂回する道を進みます(8節)。9節に「ユダの王およびエドムの王と共に出発した」とあるので、エドムの王にも支援を願ったということのようです。

 サマリアから東にモアブの地を目指したのではなく、エドムの荒れ野、即ち死海の南方を迂回する遠回りをして七日を費やすことになり、部隊と連れている家畜のための水が底をつきました(9節)。ヨラムは「ああ、主はこの三人の王をモアブの手に渡すために呼び集められたのか」(10節)と言います。主に背いているという自覚を持っていたわけです。

 そのときヨシャファトが、「ここには我々が主の御旨を尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」(11節)と尋ねました。これは、かつてヨラムの父アハブがヨシャファトに向かって、ヤベシュ・ギレアド奪還のため共に出陣しようと願ったときと全く同じ状況です(列王上22章5,7節)。

 しかしながら、ヨラムとヨシャファトは前述のとおり、死海の南を迂回しているわけです。それは勿論ユダの南方なので、その近辺にいる主の預言者の情報については、イスラエルの王ヨラムよりも、ユダの王ヨシャファトの方が詳しいはずです。

 にも拘わらず、「ここには我々が主の御旨を尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」と、ヨラムに尋ねているということは、この地に主の預言者がいるかどうかではなく、主の預言者がモアブの王メシャに戦いを挑めと告げたのか、その預言者はヨラムと同行して、今ここにいるのかと尋ねているということだろうと想像します。

 その問いに、ヨラムの家臣の一人が「ここには、エリヤの手に水を注いでいた、シャファトの子エリシャがいます」(11節)と答えました。「エリヤの手に水を注いでいた」というのは、エリヤに近く仕えていたということでしょう。ヨシャファトはそれを聞いて、「彼には主の言葉があります」(12節)と言います。

 ヨシャファトがどこでサマリアにいる預言者エリシャのことを知ったのかは、不明です。けれども、絶えず主の御旨を尋ねようとするヨシャファトの姿勢に、彼の父アサが主の目にかなう正しい道を歩んだように(列王記上15章11節)、ヨシャファトも主の道をまっすぐに歩んでいたということを、確認することが出来ます(王上22章43節)。

 ですから、ヨシャファト自身、常に主の御旨を問うために、傍らに預言者を置いていたでしょうし、そうした預言者から、北イスラエルの預言者エリシャの風評を聞くことがあったかも知れません。あるいは、エリヤのことを知っていて、彼に仕えていたというのであれば、主の言葉を語るに違いないと考えたのでしょう。

 そこで、エリシャのもとに下って行くというのですが(12節)、死海の南を迂回してモアブに向かっていた彼らが、水がなくて困っていたというのに、再びサマリアに戻ってエリシャを訪ねるというのは、考え難いところです。ここにエリシャがいますという家臣の答えから(11節)、何らかの理由でエリシャがエドムの荒れ野まで、足を延ばして来ていたのでしょう。

 エリシャのもとに行ったとき、彼はヨラムに、父母の預言者たちのところへ行けと言いました(13節)。ヨラムの父アハブ、母イゼベルに仕えていた預言者が主の御言葉を告げる預言者でなかったことが、ここでも確認されます。ヨラムは両親ほどではありませんでしたが(2節)、ネバトの子ヤロブアムの罪を犯し続け、それを離れようとしてはいませんでした(3節)。

 ヨラムはエリシャに「モアブの手に渡そうとしてこの三人の王を呼び集められたのは主だからです」(13節)と答えています。現状を主の裁きのように捉えているのです。そこで、この瀕死の状況において、どのようにすれば良いのか、主の御旨を問うために、主の預言者エリシャの許に来たのだというわけです。

 その時エリシャは、冒頭の言葉(14節)のとおり、ユダの王ヨシャファトに敬意を抱いていなければ、ヨラムに会いもしなかったと言いました。エリシャがこのとき、もしも会見を拒否したままであれば、どうなったのでしょうか。神の御旨は告げられず、命の水を得られないまま、悲惨な最期を遂げることになったのかも知れません。

 エリシャは、楽を奏する者を連れて来るように求め(15節)、彼らが演奏を始めると、主の御手がエリシャに臨みました(15節)。確かに主は、イスラエルの賛美を受けられる方です(詩編22編4節)。そこに、ご自身の臨在を示されました。

 主は、「この涸れ谷に次々と堀を造りなさい」(16節)と言われ、続けて「風もなく、雨もないのに、この涸れ谷に水があふれ、あなたたちは家畜や荷役の動物と共にそれを飲む」(17節)と約束されました。

 そして翌朝、その言葉のとおり、その地が水で満たされました(20節)。カルメル山でエリヤに火をもって答えられた神は(列王上18章30節以下、38節)、雨を降らせ、命の水をお与え下さるお方なのです(同41節以下参照)。

 モアブの人々は、その水が血のように赤いのを見て(22節)、「これは血だ。王たちは自分たちどうしで争い、討ち合ったにちがいない。モアブよ、今こそ奪うときだ」(23節)といって突進して行きましたが、さんざんな返り討ちに遭いました(24節)。そこで、エドムの王に向かって最後の攻撃を仕掛けますが、これも失敗に終わりました(26節)。

 最後にモアブ王は、長男を城壁の上で焼き尽くすいけにえとしてモアブの神ケモシュもにささげました。すると、イスラエルに対して激しい怒りが起こり、イスラエルはそこを引き上げて自分の国に帰ったと言われます(27節)。

 全く思いがけない結末です。激しい怒りの持ち主がだれなのか、明言されません。モアブ王メシャでしょうか。モアブの神ケモシュでしょうか。それとも、主が憤られたのでしょうか。そもそも何を怒られたのでしょう。詳細は語られません。ただ、ネバトの子ヤロブアムの罪を離れ、悔い改めて命の水をお与えくださる主に立ち帰るよう求められているのではないでしょうか。

 主イエスは「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と言われました(ヨハネ4章13節)。また、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(同7章37,38節)と言われています。

 常に主の御言葉を慕い求め、命の水に与らせていただきましょう。

 主よ、私たちはあなたを離れて誰のところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。命の言葉なる主を信じ、聖霊に満たされて、永遠の命に至る水が泉となって湧き出で、生きた水が川となって流れ出ますように。主に従う者の上に、主の恵みが常に豊かにありますように。アーメン