「アブサロムも、どのイスラエル人も、アルキ人フシャイの提案がアヒトフェルの提案にまさると思った。アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくだることを主が定められたからである。」 サムエル記下17章14節

 アヒトフェルが、王宮を脱出したダビデにすぐ追っ手をかけるため、1万2千の兵を託して欲しいと、アブサロムに求めました(1節)。疲れて力を落としているところを急襲すれば、必ずダビデを討ち取ることが出来るというのです(2節)。

 この提案を聞いたアブサロムは、しかし、アルキ人フシャイの言うことも聞いてみようと言って呼び出します(5,6節)。フシャイは、15章30節に初めて登場して来ます。フシャイを同37節では、「ダビデの友」と呼んでいます。王の友とは、単なる友人ではなく、宮廷で王に仕える高官で(列王記上4章1節以下、5節参照)、相談役のことです。

 フシャイは、王宮を逃げ出したダビデの前に姿を現しましたが(15章32節)、ダビデはフシャイに、都に留まってアブサロムに取り入り、顧問アヒトフェルの策を覆すため(同34節)、祭司ツァドク、アビアタルと行動を共にするようにと要請しました(同35節)。フシャイはその要請を受けて、エルサレムに戻り、アブサロムに仕える者となります(16章16節以下)。

 アブサロムに呼び出されたフシャイは、アヒトフェルの提案を否定し(7節以下)、アブサロム王の下に、ダンからベエルシェバまで、全イスラエルの兵士を集結させ、全軍をアブサロム自身が率いてダビデに襲いかかれば、一人残らず滅ぼすことが出来ると提案しました(11節以下)。

 実際には、手持ちの兵ですぐ夜襲をかけるというアヒトフェルの提案の方が、より確実にダビデを打ち取ることが出来たと思われます。イスラエル全地から兵を集めるには、とても時間がかかリますし、そうなると、逃げ出したダビデも、態勢を整えることが出来ます。そうなると、戦いの行方はどちらに転ぶことになるか、分かったものではありません。

 ただ、アヒトフェルが自分で軍を率いると提案したのに対し、フシャイはアブサロムが率いて戦いに臨むと提案しているところが、決定の分かれ目になったのではないでしょうか。つまり、その戦いの功名をアヒトフェルが握るのか、それともアブサロムが手にするのかという点です。

 しかも、自分の檄でイスラエル全地の兵が集まるという提案は、どんなにアブサロムの耳に心地よく響いたことでしょう。そのうえ、冒頭の言葉(14節)の通り、アブサロムに災いを下すため、主なる神がそこに加担しておられます。優れたアヒトフェルの提案は退けられ、ダビデを逃亡させるために、ダビデの友フシャイの提案が採用されたのです。

 こうして、危機を逃れ、態勢を立て直すための時間的な余裕がダビデに与えられました。フシャイは、そのことを祭司ツァドクとアビアタルに告げ、急いでダビデに使者を送り、荒れ野の渡し場を渡るよう伝えさせます(15,16節)。祭司らは、自分の息子ヨナタンとアヒマアツを使者としてダビデに送ります(17節、15章36節参照)。

 ところが、この二人のことをアブサロムに知らせた者がいて、追っ手がかかりますが(18,20節)、彼らは、バフリムのある男の家で匿われ、無事に務めを果たすことが出来ました(18節以下)。

 そこでダビデの一行は、直ぐにヨルダン川を渡り(22節)、マハナイムに行きました(24節)。マハナイムは、かつてサウルの子イシュ・ボシェトが都を置いたところです(2章8節以下)。当然、サウル家に加担したいと考えている人々が少なからずいることでしょう。

 となると、ダビデをアブサロムに売る、あるいはダビデの寝首をかくという人々が出て来るかもしれません。しかるに、アンモン人ナハシュの子ショビ、ロ・デバル出身のアミエルの子マキル、ロゲリム出身のギレアド人バルジライがやって来て、寝具やたらい、陶器、そして、様々な食料品を差し入れ、ダビデたちを労いました(27節以下)。

 その理由は明らかにされていませんが、かつてサウルやヨナタンを葬ったヤベシュの人々にダビデが語ったこと(2章5節以下)、ヨナタンの子メピボシェトに行ったことを(9章1節以下)、彼らが好感していたということではないでしょうか。

 このように、ダビデのために次々と、様々な協力者が現れます。ダビデには欠点が多くありますが、しかし、彼が軍人としてサウルに仕え、また自身が王となってからも、イスラエルのために行動して来たことが、どれほど多くの人々に支持されていたかということを、ここに見ることが出来ます。

 それにひきかえ、アブサロムは重要な人物を失います。なんと、彼の参謀アヒトフェルが、自分の提案が受け入れられなかったということで、自宅に戻り、首をつって死んでしまうのです(23節)。

 ダビデに態勢を立て直す時間を与え、そして戦いを交えることになればどうなるか、アヒトフェルには予想がついたのでしょう。そして、先にはダビデの顧問として仕えていた自分が、主君を見限ってアブサロムに乗り換えたわけですから、アブサロム軍が敗れれぱ、自分がどのような目に遭わされるのかということも、見当がついたのです。

 そして、前述のとおり、主の御手があります。アヒトフェルの提案を聞いたとき、アブサロムにもイスラエルの長老全員の目にも、正しいものと映っていたのに(4節)、それにもかかわらず、アブサロムはフシャイの提案を聞いてみようと言い出しました(5節)。

 そして、フシャイの提案の方がアヒトフェルの提案よりも良いという、誤った判断に導かれます(14節)。それは、油注がれたイスラエルの王である父ダビデに手をかけて殺そうとするアプサロムに、主が災いを下す決定をなさったからです。

 主なる神は、地上に目を注ぎ、私たちの営みを見ておられます。それは、ご自身の御心が行われるためです。主を畏れ、主に聴き、主の御旨に従って歩みたいと恵います。

 主よ、私たちは心に様々なことを思い図りますが、しかし、あなたの御旨だけが堅く立ちます。あなたは、ダビデを憐れみ、救いを与えられました。その憐れみは、私たちの上にも日々注がれています。恵みに与った者として、主の御業のために用いられるものとしてください。御名が崇められますように。御心がこの地の上になされますように。 アーメン