「アラム軍が逃げるのを見ると、アンモン人も、アビシャイの前から逃げ出し、町の中に入った。ヨアブはアンモン人をそのままにして引き揚げ、エルサレムに帰った。」 サムエル記下10章14節

 アンモンの王ナハシュが亡くなったという報せに、ダビデは生前の関係から使節を遣わして哀悼の意を表そうとしました(1,2節)。ここでダビデは、「ハヌンの父ナハシュがわたしに忠実であったのだから、わたしもその子ハヌンに忠実であるべきだ」と言っています。

 9章と10章をつなぐキーワードは、「忠実 faithfull 」という言葉です。いずれも、ダビデがその忠実さを相手に示そうという言葉遣いになっています。9章では、サウル家に対して「忠実」を尽くしたいと言い(9章1,3,7節)、10章では、アンモンの王に対して「忠実」であるべきだと言っています(10章2節)。

 ここで、「忠実」と訳されているのは、ヘブライ語の「ヘセド」という言葉です。この言葉は通常、「憐れみ mercy、親切 kindness、善いこと goodness」などと訳される言葉ですが、旧約聖書において、「愛」を示す言葉として用いられています。

 特に、主なる神と人との間の契約における忠誠心、誠実さ、真実を示すものです。主はどんなときにも誠実に真実に、恵みをお与えくださるので、私たちも忠実に主に仕えましょうということです。

 そもそも、アンモン人はアブラハムの甥ロトの子孫です。だから、主はイスラエルの民に「あなたは、今日、モアブ領アルを通り、アンモンの人々のいるところに近づくが、彼らを敵とし、彼らに戦いを挑んではならない。わたしはアンモンの人々の土地を領地としてあなたには与えない。それは既にロトの子孫に領地として与えた」と、申命記2章18,19節に記されております。

 アンモンの領地は、ヨルダン川の東、ギレアドの地の東側にあります。ただ、アンモンの王ナハシュは、サウル王が即位した時、ギレアドのヤベシュに攻め上って来て、彼らを酷い言葉で脅したため、サウルに打ち負かされています(サムエル記上11章1節以下)。その後、ダビデと友好関係にあったことを示す記事は、見あたりません。

  あるいは、ダビデがサウルに追われて逃亡生活を余儀なくされていたとき、両親をモアブの王に託していたことがありますが(同22章1節以下、3,4節)、同様に、アンモンの人々がダビデに親切にするということがあったのかも知れません。

 ところが、ナハシュの息子ハヌンの重臣たちは、ダビデの遣わした弔問使節をスパイと断じ(3節)、彼らのひげを半分そり落とし、衣服も半分切り落とすという侮辱を加えて追い返しました(4節)。国を代表して弔問にやって来た使節に対し、そのような仕打ちをするのは、愚かとしか言いようがありません。

 当然のことながら、それによって、ダビデの怒りを買ってしまいます。ダビデの憤りを知らされたアンモンでは、早速戦いの用意を始めます。そこで先ず、ベト・レホブおよびツォバのアラム人に歩兵2万、マアカの王には兵1千、トブには1万2千の兵と、合計3万3千の兵を傭兵として派遣するよう、それぞれ要請しました(6節)。

 ということは、自分たちの兵力、軍事力だけでは、イスラエルと戦えないと考えたわけです。それが適切な判断ということなのでしょうが、そうであるならば、徒らにダビデの派遣した使節を侮辱して、戦争の火種を播くような愚かな振る舞いに及ぶべきではなかったのです。

 アンモンの都はラバです。今日のヨルダン王国の首都アンマンと同定されています。エルサレムから東におよそ60㎞といった距離にあります。イスラエル軍がラバの城門まで押し寄せて来たとき、アンモンの王ハヌンは、城内から戦いを仕掛けるアンモン軍と、野に配置したアラム連合軍で、挟み撃ちする作戦でした(8節)。

 それに対して、イスラエル軍の司令官ヨアブは、城内のアンモン軍と場外に配置されたアラム連合軍を見て、イスラエル軍を二つに分け、選りすぐりの精鋭部隊をヨアブが率いてアラム連合軍に当たり(9節)、残りは弟アビシャイに委ねてアンモン軍に向かわせることにしました(10節)。

 ところが、ヨアブ率いるイスラエルの精鋭がアラム連合軍に近づくと、彼らは早々と戦線を離脱してしまいました(13節)。全く頼りにならない輩です。請われてやっては来たけれども、命を懸けるほどの義理はないということだったのでしょうか。

 すると、アラム連合軍が逃げたのを知って、アンモン軍も戦意を失い、城内に逃げ込んでしまいました。こうして、ほとんど刃を交わすこともなく、無血でイスラエルが勝利を獲得したのです。

 ところが、戦う前に敵前逃亡して面目丸つぶれのアラム連合軍は、ツォバのハダドエゼル王の指揮の下、遠くアラム・ナハライム軍も動員してあらためて連合軍を編成し、雪辱のためガリラヤ湖東方50㎞ほどのところにあるヘラムまで押し寄せて来ました(15,16節)。それに対し、今度は、ダビデ自身が全軍を率いてアラム軍を迎え撃ちます(17節)。

 この戦いで、アラム連合軍は、戦車7百、騎兵4万、そして軍の司令官ショバクも失うことになりました(18節)。アラム諸国は、払わなくてもよかった犠牲を払い、そして、イスラエルに隷属させられてしまうのです(19節)。

 ここであらためて、冒頭の言葉(14節)にあるイスラエル軍の司令官ヨアブのとった行動には驚かされます。彼は、勢いにまかせてアンモンの都ラバに攻め込んだというのではありません。彼らは町に逃げ込んだアンモン人をそのままにして引き揚げ、エルサレムに帰るのです。

 戦利品も獲らず、賠償金も受け取らずに引き揚げたのでは、死者が辱められたことの報復にならないでしょう。そんなことで、面目が立ったということになるのでしょうか。ただ、そもそもこれは、ダビデ・イスラエルが望んだ戦いではありません。故ナハシュ王への弔問から始まったことでした。

 そして、自ら恥を雪ごうとしなくても、主なる神はイスラエルをユーフラテスの向こうのアラム軍に勝利させ(18節)、その勢力がアラム・ナハライムにまで及ぶようにしてくださって(19節)、もはや、アンモンはイスラエルの敵ではなくなってしまったのです。

 私たちは今日、右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい(マタイ5章39節)、敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい(同44節)と教えられています。出来るかと尋ねられて、「はい」と答えるのは容易いことではありません。むしろ、右の頬を打たれたら、相手の左の頬をイヤというほど殴り返してしまうでしょうし、自分を傷つける敵は、愛せないからこそ「敵」なのです。

 それを教えられた主イエスは、自ら十字架の上で身をもってそれを実行されました。あらゆる侮辱にも激昂されることなく、むしろ、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23章34節)と祈られ、天国の門を広く開かれました。主イエスがそのようにして私たちに「ヘセド」恵み憐れみをお示しくださったのです。

 日毎に主イエスを仰ぎ、その御言葉に忠実に耳を傾け、その導きに従ってまっすぐに歩ませていただきましょう。

 主よ、今も戦火を交えている国,地域に住む人々を覚えてください。テロとの戦いと称して始められた戦争が、未だ終結の時を迎えてはいません。むしろ、テロを拡大させています。一刻も早く戦闘が終結し、全世界に平和が訪れますように。平和の源であられる神の御心がその地に行われ、その喜びが隅々にまで広げられますように。すべての者が神の御前に膝をかがめ、その御言葉に忠実に聞き従う者となりますように。 アーメン