「主はベト・シェメシュの人々を打たれた。主の箱の中をのぞいたからである。」 サムエル記上6章19節

 ペリシテ人は、イスラエルとの戦いに勝利し、神の箱を戦利品として意気揚々持ち帰ったものの(4章10,11節)、その日から主の御手が重くのしかかったので、彼らにとってまさに重荷となってしまいました(5章)。そこで、神の箱をイスラエルに返すことにしました(5章11節)。

 ペリシテ人は祭司と占い師を呼んで、主の箱の返し方を尋ねました(2節)。すると、祭司たちは「必ず賠償の献げ物と共に返さなければならない。そうすれば、あなたたちはいやされ、神の手があなたたちを離れなかった理由も理解できよう」(3節)と答えました。

 賠償の献げ物として、金のはれ物と金のネズミを造るということは(4,5節)、それが彼らを苦しめていたものということでしょう。即ち、ネズミがもたらした細菌によって、ペリシテの民全体に腫れ物被害が広がっていたものと考えられます。

 腫れ物とネズミを金で造ったというのは、価値の高い贈り物が必要だと考えられたからであり、五つずつ造ったのは「ペリシテの領主の数に合わせて」とあるように、五つの都市全体、即ちすべてのペリシテ人が主への敬意、服従の意を示しているということです。この賠償の献げ物を、主の箱と一緒にイスラエルに返せば、災いもなくなると期待しているわけです。

 賠償の献げ物について、レビ記5章14節以下に規定があり、また、同7章1節以下にその施行細則が示されています。そこには、「聖所で定められた支払額に相当する無傷の雄羊」を賠償の献げ物とすると定められています。それを、金で造った模型にするというところが、 異教的な発想なのでしょう。

 そうして彼らは、まだ軛をつけたことのない、乳を飲ませている二頭の雌牛を新しい牛車につなぎ、主の箱を運ばせます(7節以下)。子牛は引き離して小屋に戻し、御者なしで牛の行くままにして、まっすぐにベト・シェメシュへ上って行くなら、この災厄はイスラエルの神がもたらしたもので、そうでなければ、偶然の災難だということが分かると考えました(9節)。

 普通に考えれば、2頭の雌牛が御者なしにまっすぐベト・シェメシュを目指すことはないでしょう。だからこそ、イスラエルの神、主がその災いをもたらしたものであるかどうか、はっきりすると考えたのです。ただ、この方法を考えたのは主への敬意というより、主が恐れるに足る存在であるかどうかを試そうとしてのことのようです。

 また、主の箱を新しい車に乗せ、牛に引かせるという方法は、ダビデがアビナダブの家からエルサレムに主の箱を運び上ろうとしたときに採用されました(サムエル記下6章1節以下)。しかし、途中で御者の一人が主に打たれて亡くなるという悲劇が起こりました(同7節)。

 それが、主の御旨に適う方法でなかったということでしょう。だから、次に主の箱を運ぶときには、人の肩に担がせて6歩進むごとに雄牛をいけにえとして献げ(同13節)、ダビデは主の御前で力の限り踊りました(同14節)。そうして無事にダビデの町に運び上げることができたのです(同15節)。

 ただ、ペリシテには主の箱を担ぐレビ人はいません。車に乗せ、牛に引かせる他の手段は採れなかったというところです。そして、雌牛はベト・シェメシュへの道を、右にも左にも曲がらずまっすぐに進んで行きました(12節)。ペリシテ人たちに主の力を見せつけたかたちです。

 一方、ベト・シェメシュの人々は、戻されて来た主の箱を見て喜び(13節)、そこで主に献げ物をささげました(14,15節)。主の箱がペリシテに奪われ、祭司エリ一族が神に撃たれて、神の栄光がイスラエルを去ってしまったと思っていましたが(4章21節)、今、主の箱が戻って来たのです。どんなに嬉しかったことかと思います。

 ところが、またも問題が起こりました。冒頭の言葉(19節)のとおり、主がベト・シェメシュの人々を打たれたのです。それは、彼らが主の箱の中をのぞいたからです。「70人」もの人々が撃たれました。

 原文には、その後に「5万」(ハミッシーム)という数もあります。新改訳などは、「五万七十人」と訳しています。ただ、全員が覗いて神に打たれたとは思えないので、新共同訳は「五万のうち七十人」としたのでしょう。岩波訳は「五万の人々」の付け方が不自然で、これを記していない写本もあるということで、「民の内の七十人」としています。

 ベト・シェメシュは、祭司アロンの子孫に与えられた町です(ヨシュア記21章15節)。神聖なものに触れて神に打たれないよう、民を守る務めを担ったのがレビ人であり、中でも特に、祭司アロンの子らの役割でした(民数記1章51,53節、4章15,20節)。その子孫が、主の箱の中をのぞいて神に打たれるとは、なんということでしょうか。

 3章1節に「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」とありましたが、祭司エリやその息子たちと同様、ベト・シェメシュの人々も主の御言葉を蔑ろにし、自分たちの務めを忘れていたわけです。これは、主なる神に対する畏れをなくしていた、明らかな証拠ということになります。

 主の箱は、主なる神様との契約のしるしですが、災厄を恐れたベト・シェメシュの人々は、神の箱をそのまま自分たちの町に留めておくことが出来ませんでした。彼らは、キルヤト・エアリムの人々に使者を送り、「ペリシテ人が主の箱を返して来ました。下って来て、主の箱をあなたがたのもとに担ぎ上ってください」と要請しています(21節)。

 それは、「恐れる神にたたりなし」という態度です。まるで、異教徒のペリシテ人とひとつも変わらない有様です(5章6節以下、10節)。

 現在、主の御言葉を頂いている私たちはどうでしょう。主と主の御言葉に対する畏れを失い、聖書を開くことを忘れているならば、あるいは、ただ御言葉を聞いているだけで、それに従うことが出来なければ、ベト・シェメシュの人々を裁く資格はありません。

 主イエスは、御言葉を聞いて行う者を、「岩の上に自分の家を建てた賢い人」と呼ばれ、御言葉を聞いても行わない者を、「砂の上に家を建てた愚かな人」と呼ばれました(マタイ7章24節以下)。勿論、主は私たちに、賢い者となって欲しいと思っておられるのです。

 主を畏れ、その御言葉に従って歩ませていただきましょう。主は、主に従う者に限りなく慈しみを注いでくださるからです。

 主よ、私たちに御言葉の恵みを開いてください。御言葉は私たちの足のともしび、道の光です。御言葉を聞いても従わない愚か者にならないように、主を畏れ、御言葉に土台して、右にも左にも曲がらず、常に生きた信仰生活を喜びと感謝をもって歩むことが出来ますように。 アーメン