「わたしは、イスラエルの人々のために、彼らすべてを追い払う。あなたはただ、わたしの命じたとおり、それをイスラエルの嗣業の土地として分けなさい。」 ヨシュア記13章6節

 11章23節に「ヨシュアはこうして、この地方全域を獲得し、すべて主がモーセに仰せになったとおりになった」と記されていましたが、13章1節では、主がヨシュアに「あなたは年を重ねて、老人となったが、占領すべき土地はまだたくさん残っている」と告げられます。

 これは互いに矛盾しており、理解に苦しむところです。資料を並べる順序が入れ替わってしまったのでしょうか。

 2節以下、残っている土地として示されているのが、「ペリシテ人の全地域」(2節)、「エジプトの東境のシホル」(3節)、「ヘルモン山のふもとバアル・ガドからレボ・ハマトに至るレバノン山東部全域」(5節)などです。これらは、イスラエル周辺地域のことを指しているようです。

 ということは、確かに、ヨシュアは約束の地の大半を獲得したのかもしれません。しかし、まだ完全なものではないと言われるのです。

 かつて、主なる神がアブラハムと契約を結んで「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで」(創世記15章18節)と言われました。この約束は、イスラエルの国力が最大となったソロモン王の時代でも、文字通りに実現してはいません。

 その意味でいえば、「占領すべき土地はまだたくさん残っている」(1節)という言葉は、ヨシュアだけでなく、あらゆる時代の指導者たちにも等しく当てはまるわけです。

 これを霊的に考えてみましょう。私たちは主イエスを信じ、心に、生活の中に主を迎え、御言葉に従う生活を始めました。ときの経過と共に、あらゆる面において、主に聴き従う生活が出来るようになり、まだ不十分だと言和ざるを得ないようなところなどはもうない、完全な者となったと言えるようになれたでしょうか。

 私自身、1968年のクリスマスに主イエスを信じる信仰を公に表明してクリスチャンとなってから、既に49年余りが経過しました。けれども、主のために新たに占領しなければならない部分など、もはや残っていないなどとは、およそ口が裂けても言える状況ではありません。むしろ、今なお主のために、占領すべき土地はまだたくさん残っていると言わなければならない体たらくです。

 主なる神はヨシュアに、冒頭の言葉(6節)のとおり、「わたしは、イスラエルの人々のために、彼らすべてを追い払う」と言われました。ここで、「追い払う」という言葉は、1節の「占領すべき」と言われた言葉と、形態(ヒフィル形とカル形)は異なりますが、同じ「ヤーラシュ」という動詞が用いられています。

 同じ言葉の裏と表と言いますか、主なる神が先住民を追い払い、イスラエルの民が彼らの地を占領するということで、神がお与えになったものを、そのまま受け止めよということでしょう。

 主は続けて「あなたはただ、わたしの命じたとおり、それをイスラエルの嗣業の土地として分けなさい」(6節)と語られました。取るべき多くの地から、そこに住む民を皆追い払うのは主ご自身で、ヨシュアの仕事は、主が彼らに獲得させたそれらの土地を分配することです。

 土地の分配は、どのようにして行なわれるのでしょうか。15章以下を読めば分かりますが、くじで土地を割り当てるのです。「分けなさい」というのはナーファルという言葉で、これは、「落ちる、倒れる」という意味です。祭司は神託を受けるためにウリムとトンミムというくじを投げ、その落ち方、倒れ方で神意を読み取ります。

 ということは、土地の分配も、神の御心に従って決定するわけです。新改訳は、「くじで分けよ」と訳しています。土地が分けられて、各部族の嗣業の地となり、そして、土地の実りを産み出します。

 創世記2章15節に「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた」という言葉があります。主は、イスラエルの民をエジプトの地から導き出し、約束の地に連れて来て住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされました。ということは、ユダヤ人にとって、約束の地は当にエデンの園だったのではないでしょうか。

 私たちが自分の知恵や力で、主の御前に相応しくないものをすべて追い払い、御心に適うように整えることは不可能と言わざるを得ません。自分で自分に死ぬことなど出来ません。私たちが心に思うことは、幼いときから悪いと、主が仰ったとおりだからです(創世記21節参照)。

  ただ主の御言葉を聴き、御言葉どおりになることを主に祈り、私たちの内から主の御前に相応しくないものを追い払ってくださるよう願うほかありません。

 主の語られた御言葉は生きていて力があり(ヘブライ書4章12節)、主の望まれることを成し遂げ、主がお与えになった使命を必ず果たします(イザヤ書55章11節)。

 日々主を仰ぎ、御言葉に耳を傾けましょう。その導きに従って一歩ずつ歩ませていただきましょう。

 主よ、私たちの心には様々な計画、思いがありますが、ただ主の御旨だけが堅く立ちます。御心がこの地になされますように。御国が来ますように。御業のために、私たちが用いられる器となれますように。そして、主の御名が崇められますように。 アーメン