「ヨシュアの率いるイスラエルの人々がヨルダン川のこちら側、すなわち西側で征服した国の王は次のとおりである。ヨシュアは、レバノンの谷にあるバアル・ガドからセイル途上にあるハラク山に至る地域をイスラエル各部族にその配分に従って領地として与えた。」 ヨシュア記12章7節

 12章には、イスラエルが征服した王たちのリストが記されています。1節から6節まで、モーセに率いられていたとき、ヨルダン川の東側で征服した二人の王について、7節以下は、ヨシュアに率いられてヨルダン川を渡ってから、その西側で征服した町の王31名について報告されます。

 6章からの記事で、それらの町がどのように征服されたのか物語られていますが、11章18節の「ヨシュアとこれらすべての王たちとの戦いは長い年月にわたり」という言葉は、10章、11章に記されている戦いがそれぞれ一両日程度で終結したかのような印象を持つだけに、多少意外な感じがします。しかしながら、恐らく「長い年月にわたり」というのが正確な描写でしょう。

 10章42節に「ヨシュアがただ一回の出撃でこれらの地域を占領し、すべての王を捕らえることができたのは、イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである」と記されていますが、一度の出撃ですべての地域を占領出来たとか、戦闘は一日で終結したということを意味するのではありません。

 たとえば、一度の出撃で一つの町を落とした。その戦いには、何ヶ月も要することがあったという具合に考えた方がよいでしょう。

 また、征服といっても、町全体が滅ぼされ、焼き払われたアイの町のようなところもあれば(8章1節以下)、王が殺されただけで、町が攻められたという記述もないエルサレムの町のようなところもあります(10章23節以下)。

 実際、エルサレムは、ダビデが占領するまで、エブス人が町を支配していました(サムエル記下5章6,7節)。つまり、全土を完全に占領するまでには、さらに年月がかかったということになります。

 冒頭の言葉(7節)にヨシュアが征服した地域が、「レバノンの谷にあるバアル・ガドからセイル途上にあるハラク山に至る地域」と語られています。バアル・ガドはダンの北18km、ヘルモン山の麓というイスラエルの北限です。バアル・ガドとは、「幸運の主」という意味で、ガドという異教の神が礼拝されていたところでした。

 一方、「セイルの途上にあるハラク山」ですが、セイルは「毛深い」という意味で、ヤコブの兄エソウとその子孫、の居住地となりました(創世記32章4節)。エソウとの関連で、「赤い」という意味のエドムと呼ばれることもあります(同25章30節)。

 ハラク山は「裸の山」という意味です。草木の生えていない赤土の山なのでしょうか。これは、ベエル・シェバの南方42kmに位置する山で、ヨシュアが占領したカナンの地の南限を指します。

 バアル・ガドからハラク山までというのは、「ダンからベエル・シェバまで」(サムエル記上3章20節、サムエル記下3章10節など)と同様の表現で、それを南北にもう少し広くした言い方です。この地域に、イスラエルに征服された31の町があったわけです。

 山地もあれば低地(シェフェラ)もあり、水辺もあれば荒れ野もあり、堅固な町もあれば、そうでもないところもあったでしょう。それこそ、あっけなく落ちた町もあれば、陥落させるのに長い月日を必要とした町もあったと思われます。

 いずれにせよ、この地を各部族の領地として分配するために、31の町を征服しなければならなかったのです。そして、イスラエルが主に聴き従うとき、主はイスラエルと共にいて、イスラエルのために主ご自身が戦ってくださり(10章14節)、それを征服することが出来ました(10章14節、11章15,20,23節)。

 私たちが置かれている状況も、様々です。日々困難をおぼえつつ闘っておられる方もあります。その困難がいつまで続くのかと、途方に暮れるような思いになることもあるでしょう。そのような方を慰め、励ますことも、これまた容易なことではありません。ただ、私たちと共におられる神は、万事を益としてくださるお方です。

 スキーのジャンプ競技は、逆風を受けた選手が一番高く遠くまで跳ぶことが出来ます。飛行機は、向かい風に向かって飛び立つのです。私たちに吹き付けてくる逆風を神の息吹と受け止め、主を信頼して信仰の翼を広げるなら、イザヤ書40章31節に語られるごとく、いつしか私たちは、鷲のように翼を張り、上昇気流に乗って空高く舞い上がることでしょう。

 主を信頼し、御言葉に耳を傾けつつその導きに従って進むなら、いつの間にか悲しみが喜びに、苦しみが楽しみに、不安が平安に、呻きの祈りが感謝の賛美に変えられることでしょう。絶えず主を見上げ、日々主の御言葉に耳を傾け、聖霊の導きによって常に祈りましょう。主に信頼して、歩み続けましょう。

 主よ、私たちの心を探ってください。私たちのうちから、御前に相応しくないものを取り除いてください。主に従って実を結ぶ歩み、働きをすることが出来ますように。御言葉の内に留まらせてください。御霊に満たされ、その力に与ることが出来ますように アーメン