「ヨシュアは、彼らに対して主の告げたとおりにし、馬の足の筋を切り、戦車を焼き払った。」 ヨシュア記11章9節

 ハツォルの王ヤビンは、エルサレムの王らアモリ人の王たちの連合軍を打ち破り(10章1節以下)、カデシュ・バルネアからギブオンまでパレスティナ南部を征服したこと(同41節)などを聞きました(1節)。そこで、パレスティナ北部の町の王たちに使いを送り、連合してイスラエルと戦おうと呼びかけます。この書き出しは、10章1節とよく似ています。

 ハツォルは、ガリラヤ湖の北方約10kmのところにある町で、エジプトと小アジアやメソポタミアを結ぶ隊商路が通っており、早くから栄えていました(10節参照)。後にソロモンが、北方面の守りの拠点として、この町を軍事要塞化します(列王記上9章15節以下)。マドン以下の町や地域は、場所が特定出来ないところが多いですが、ガリラヤ地方一帯を指していると考えられます(1,2節)。

 ヤビンの呼びかけに、「東西両カナン人、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、山地のエブス人、ヘルモン山のふもと、ミツパの地に住むヒビ人」(3節)たちがメロムの水場に集まり、イスラエルと戦うために連合軍を組織しました(5節)。その兵の数は「浜辺の砂の粒ほどの大軍」(4節)と言われ、「軍馬も戦車も非常に多かった」(4節)そうです。

  20節に「彼らの心をかたくなにしてイスラエルと戦わせたのは主であるから、彼らは一片の憐れみを得ることもなく滅ぼし尽くされた」とあります。「かたくなにして」(レ・ハッゼーク)は、「強くする、勇気づける」(ハーザク・ピエル形)という言葉です。

 これは、1章6節などでヨシュアに対し、「強くあれ」と繰り返し励ましを与えた言葉です。主なる神が王たちを頑迷にしたというより勇猛果敢にし、戦車などの近代兵器で武装した大軍をもってイスラエルに立ち向かわせたという言葉遣いです。 

 一方、主はヨシュアに対して「彼らを恐れてはならない。わたしは明日の今ごろ、彼らすべてをイスラエルに渡して殺させる」(6節)と言われました。イスラエルをして、パレスティナ北部の種族を滅ぼす道具とするというわけです。そこで、ヨシュアはイスラエル全軍を率いて、メロムの水場を急襲し(7節)、これを撃って全滅させました(8節)。

 主は戦いに際して、「あなたは彼らの馬の足の筋を切り、戦車を焼き払え」(6節)と命じられ、冒頭の言葉(9節)のとおり、ヨシュアは主の命令に従って、「馬の足の筋を切り、戦車を焼き払」います。馬や戦車は、開けた場所での戦闘に威力を発揮します。奇襲をもって馬の足の筋を切り、戦車を焼き払うことで、連合軍の近代兵器を無力化する作戦だったといえます。

 一方、イスラエルにとって、戦いを少しでも有利に進めるために、彼らの馬や戦車を手に入れることは、願ってもないことではなかったかと思います。しかし、主なる神は、それを禁じられました。

 申命記17章14節以下の「王に関する規定」でも、「王は馬を増やしてはならない」(同16節)と命じられています。これは、イスラエルの民が、王の勇猛さ、兵の勇敢さ、武器の種類や兵の数などに頼るのではなく、どんな時にも主なる神に信頼すること、主の命令に従うことが求められているわけです。

 そのことは、戦いの中で明らかになります。多くの軍馬、戦車を持ち、数え切れないほどの大軍であっても、主を信じ、御言葉に従って進軍するイスラエルの敵ではありませんでした。軍馬も戦車も、神の手を逃れることは出来なかったのです。

 御言葉に背いて馬と戦車を手に入れ、イスラエル軍の武装を強化することができたとしても、神を敵にまわすならば、それは何の助けにもなりません。だからこそ、ヨシュアは主の告げたとおりにしているわけです。

 主なる神は、ヨシュアが御言葉に素直に聴き従っているのを見られ(9,15節)、その態度を喜ばれたことでしょう。だから、主ご自身がイスラエルのために戦われ、かくて、カナンの地南部に続いて、北方の地からも、先住の民を滅ぼされたのです。神が連合軍の王の心を強くしたのは、徹底的に彼らを打ち破らせるためだったわけです。

 それを思うとき、誰よりも豊かな知恵と賢明な心が授けられたはずのソロモン王が(列王記上3章12節)、戦車用の馬の厩舎4万に騎兵1万2千(同5章6節)、戦車千四百を有し(同10章26節)、さらにエジプトとクエから馬を輸入しています(同28節)。まさにそれは絶大な冨と権力を象徴するものですが、そこに、ソロモンの驕りを見ることが出来ます。

 「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る」(箴言1章7節)という言葉を書き記すことのできたソロモンはしかし、それに自ら耳を傾けようとしなかったからです(列王記上11章1節以下、9,10節)。そのため、国は傾き始め、彼の死後、南北に分裂し(同11章11節以下、30,31節、12章)、やがて、滅びを刈り取ることになってしまいました。

 私たちは、キリストの贖いを通して救いに与った者として、常に主を仰ぎ、絶えずその御言葉に聴き従い、感謝と喜びをもって日々歩みましょう。

 主よ、あなたは心を尽くして御前を歩む私たちに豊かに慈しみを注がれ、御口をもって約束されたことを、御手をもって成し遂げてくださいます。どうか私たちが、あなたの御言葉からそれて、右にも左にも曲がることがありませんように。信仰の正道をまっすぐに歩ませてください。御名があがめられますように。 アーメン