「彼らを恐れてはならない。わたしは既に彼らをあなたの手に渡した。あなたの行く手に立ちはだかる者は一人もいない。」 ヨシュア記10章8節

 エルサレムの王アドニ・ツェデクは、イスラエルがエリコ、アイを滅ぼし、ギブオンと和を講じたことを知り(1節)、他のアモリ人の4人の王に人を遣わして(3節)、一緒にギブオンを攻めようと提案します(4節)。すると、彼らはすぐに意気投合し、連合軍を組織してギブオンに攻め上ります(5節)。

 ギルガルに宿営しているイスラエル軍が、エリコ、アイを破り、ギブオンと連合することで、イスラエルが南北に分断されつつあり、このまま放置すると、各個撃破されてしまうだろうと恐れたのでしょう。そこで先ず、これまで隣人であって、今や敵となったギブオンから攻略しようということになったわけです。今回の連合軍は、分断されるイスラエル南方のアモリ人の町の軍隊です。

 戦いを仕掛けられたギブオンは、ギルガルにいるヨシュアに援軍要請をします(6節)。要請を受けたヨシュアは、全兵士を率いて出陣しました(7節)。彼らは、夜通し行軍してギブオンにいた5王連合軍に襲い掛かり、大打撃を与えました(9,10節)。

 さらに、敗走する連合軍を追撃し、わずかの敗残兵を除き、彼らを全滅させることが出来ました(20節)。5人の王は捕えられ、殺されて木にかけられました(17,23,26節)。

 それは、主ご自身が戦ってくださっての勝利というべきでしょう。冒頭の言葉(8節)に「彼らを恐れてらない。わたしは既に彼らをあなたの手に渡した」とあります。特にヨシュアが主の託宣を求めたという記事もありませんので、主の方から、イスラエルの勝利を約束されたかたちです。エリコを攻略する際、主の軍の将軍が登場して、策を授けてくださった時も、同様でした。

 それは、これらの戦いが主の手の中にあり、その勝利の鍵をヨシュアに授けられるということであり、ゆえに、主を信頼することを求めておられるということです。そして、その勝利を通して、カナンの地をイスラエルに与えるという約束を、主自ら実行しておられるということを、表しているのでしょう。

 イスラエル軍が夜を徹して行軍し、アモリ人連合軍を急襲したとき(9節)、「主はイスラエルの前で彼らを混乱に陥れられたので」(10節)、夜の闇もイスラエルに味方したので、それこそ戦いにならなかったのです。その上、敗走する兵士たちに向かって、天から雹が降りました(11節)。イスラエル軍が剣で殺したよりも多くの兵士が、雹に打たれて死にました。

 雹について、はじめは「大石」(アバーニーム・ゲドーロート)と表現しています。あとで「雹」と訳されているのも、正確には「雹の石」(アブネー・ハッ・アーラード)という言葉遣いになっています(新改訳、岩波訳など参照)。それは、雹が主の戦いの武器(石投げ)であるということを示そうとしているのではないでしょうか。

 雹がアモリ人兵士だけを正確に襲い、イスラエル兵に犠牲が出なかったというのであれば(21節からの類推)、それはおよそ自然現象などではありません。

 さらに、ヨシュアが「日よ、とどまれ、ギブオンの上に、月よ、とどまれ、アヤロンの谷に」(12節)というと、まる一日、日も月も動かなかったという(13節)、考えられない記述が続きます。日や月が動かなかったということは、地球の自転がを停止したということでしょう。自転を停止した地球が、一日後に再び自転し始めるなどということは、科学的には、到底あり得ない現象です。

 ここに言い表されているのは、神が自然に働きかけて、日も月もイスラエルが勝利を収めるのに協力したり、雹を石投げの石として、正確にアモリ人を打ち倒したりしたことなど、神があらゆるものを動員して、イスラエルに圧倒的な勝利を収めさせてくださったということです。

 特に、アモリ人らが太陽や月を神として拝む偶像礼拝を行っていたし、その後、イスラエルの民も、そのような偶像礼拝に巻き込まれて行ったので、日や月が動きをとめるようにというヨシュアの宣言、そして、主なる神がご自身への訴えと受け止めて、日と月の動きをとどめられたことを記して、主なる神の権威と力をイスラエルの民に示したものといってよいと思います。 

 14節に「主がこのように人の訴えを聞き届けられたことは、後にも先にもなかった」と言われており、これが特別な出来事だったということを強調しています。それを「主はイスラエルのために戦われたのである」と記して、「わたしは既に彼らをあなたの手に渡した」(8節)と仰ったことを、主が自ら戦って実現してくださったと、あらためて感謝の意を込めて言い表しているのです。

 使徒パウロが、「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」(ローマ書8章31,32節)と言っています。私たちが今置かれている状況がどのようであれ、神は主イエスを信じる私たちに味方してくださいます。

 また、ご自分の栄光の冨に応じて、私たちに必要なものすべて満たしてくださいます(フィリピ書4章19節)。さらに、万事が益となるように共に働いてくださるのです(ローマ書8章28節)。

 万事を益とされる主を信じ、暗闇も、雹も、そして太陽や月さえも用いられる主の御前に謙りましょう。主の御心が行われることを求め、その御業のために用いていただきましょう。

 主よ、あなたが御心に留めてくださるとは、なんという幸いでしょう。あなたに顧みられるとは、私たちは何者なのでしょうか。あなたこそ、私たちの岩、私たちの支え。私たちの砦、私たちの逃れ場、私たちの盾、避け所です。絶えず新しい歌をもってあなたを褒め歌います。私たちを御業のために用いてください。豊かな実りを得ることが出来ますように。 アーメン