「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。」 ヨシュア記1章7節

 今日からヨシュア記を読み始めます。ヨシュア記は、キリスト教の聖書では「歴史書」に位置づけられていますが、ヘブライ語聖書(マソラ本文)では、続く士師記、サムエル記、列王記と共に、「預言者」(ネビーム)の中に「前の預言者」として分類されます。

 聖書における預言の役割は、神に預かった言葉を告げることです。ヨシュア記が「預言者」の書であるのは、これから起こることを予め語っているからではなく、モーセを通じて神に与えられた「律法」(トーラー)、その教えを忠実に守るよう命じているからであり、イスラエルの民がその教えをいかに聞き、どう振る舞ったか、律法というものさしで評価しているからです。

 神学的には、ヨシュア記を創世記から申命記までの「五書」に加えて、「モーセ六書」とする立場もあります。アブラハムに対するカナンの地を与えるという約束(創世記12章)が本書において実現して、物語が完結していると考えるわけです。

 また、カナンの地での恵まれた生活を確かなものとするための最も重要な条件は、モーセの教えに忠実であることを教えていることから、本来、申命記の一部として読まれていて、正典を形成するために切り離されたと考える立場もあるそうです。

 1章には、モーセの後継者としてヨシュアが任命されたことについて、記されています。ヨシュアは「モーセの従者」(1節)と紹介されているように、レフィディムでのアマレクとの戦いを指揮する者として選出されて以来(出エジプト記17章9節)、忠実なモーセの僕として歩みました(同24章13節、32章17節、33章11節など)。

 メリバの水の一件でモーセが約束の地に入れないことになって(民数記20章1節以下、12節)、主なる神はヨシュアを後継者に任命されました(同27章12節以下、18節)。申命記でも、1章38節、3章28節、31章にそのことが記されていました。

 ここにあらためて、ヨシュアがモーセの後継者として立てられたのですが、当然のことながらヨシュアはモーセではありません。モーセに代わる、モーセと同様の指導者ということでもありません。

 モーセは主なる神に聴き、主に従う「主の僕」でした(申命記34章5節)。ヨシュアも勿論主の僕です。だから、冒頭の言葉(7節)で、主がヨシュアに対して「わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない」と命じておられるのです。

 ただ、ヨシュアはここでモーセの命じた律法に忠実に従うことが求められています。その意味では、ヨシュアはこれまで同様、これからも主の僕たるモーセの「従者」なのです。

 モーセは、モアブのピスガの頂から約束の地カナンの全域を見渡しました(申命記34章1,2節)。モーセの従者ヌンの子ヨシュアは、ヨルダン川を渡って約束の地を行き廻り、その地を領土とします(3,4節)。これは、アブラハムと結ばれた契約が成就することを意味します(創世記12章7節、15章18節以下参照)。

 主はヨシュアと共にいて、見放すことも、見捨てることもしないので(5節)、「強く、雄々しくあれ」(6節)と命じられます。それは、主が与えると誓われた土地を、民に継がせるためです。

 「強く、雄々しくあれ」というと、勇敢に力強く戦えという言葉遣いだと思われますが、しかし、冒頭の言葉(7節)では、律法を守り行うことに、強さ、雄々しさが求められています。また、ヨシュアに対するルベン、ガド、マナセの半部族の人々の応答で、ヨシュアに対してそれを求める言葉が語られます(18節)。

 この言葉は、申命記31章6,7節、ヨシュア記10章25節、歴代誌下32章7節にも見られます。これらを見て気づかされるのは、「主が共におられる」という言葉がその前後で語られていて、それは、イスラエルに代わって主なる神が戦われるということを示しているようです。ということは、「強く、雄々しくあれ」というのは、主に信頼し、その力により頼めという命令とみるべきでしょう。

 イスラエルが土地を勝ち取ることに、勇気や力は、それほど必要でないと言ってもよいかもしれません。というのは、繰り返し、土地を与えると語られているからです。「与える」(ナータン)という言葉が1章に8回、ヨシュア記全体で89回も用いられているところに、はっきりと示されています。そう語られる主の御言葉を、イスラエルの民は信頼し続けることが出来るでしょうか。

 荒れ野を旅する間、飢えや渇きが、イスラエルの民を御言葉からそらさせる力になることがありました。また、彼らの前に立ちはだかる敵が、神に背かせる力となりました。カナンの民が拝むバアルやアシェラという神々に惑わされたこともあります。

 主は、「律法を忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する」(7節、申命記5章32,33節)と言われ、続けて「この律法の書をあなたの口から放すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する」(8節、詩編1編2,3節)と約束されます。

 何事にもまず御言葉に聴き、そこから力を得て、まっすぐに歩む者とならせていただきましょう。

 主よ、あなたの教えを愛し、その導きに従って歩むことの出来る者は幸いです。主を信じ、御言葉に従って歩む者に、豊かな実を結ぶ人生をお与えくださるからです。常に主を畏れ、御言葉を愛する者とならせてください。御言葉に従い、右にも左にも曲がらず、まっすぐに歩ませてください。御名が崇められますように。 アーメン