「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。」 申命記18章15節

 イスラエルの民を導く者として、「王に関する規定」(17章14節以下)の後は、「レビ人および祭司に関する規定」(1節以下)が示され、「異教の習慣への警告」(9節以下)に続けて、「預言者を立てる約束」(15節以下)が与えられます。

 イスラエルにおいて、宗教生活の中心に祭司、レビ人がいます。主の前で祭儀を行うこと(10章8節など)、また民の前に教育的な指導(33章10など節)、また裁判官としての務め(17章8,9節など)を担います。

 預言者を立てる約束の前に異教の習慣への警告が告げられるのは、イスラエルの周辺に住む諸民族の間で預言者と言われる人々が、占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者(10節)だったからです。そのようなかたちで将来起こる出来事や、隠されている神の御心を探り知ろうとするあらゆる種類の営みを拒絶しています。

 それに対して、私たちが主なる神の御心を知る手段、方法が、主によって示されます。それが、冒頭の言葉(15節)の「わたしのような預言者を立てる」という宣言です。「わたしのような」とは、モーセのような預言者のことで、主が彼のような預言者を立てると約束しておられるのです。

 イスラエルの民は、モーセに率いられてエジプトを脱出し、荒れ野を旅して来ました。今、約束の地を目前にしています。そして、モーセには約束の地を踏むことが許されていません(1章37節、3章23節以下など)。

 神は、後継者としてヌンの子ヨシュアを任命されました(民数記27章18節以下)。「あなたたちは彼に聞き従わねばならない」と言われるとおり、ヨシュアを通して神に聴き従うことを、神は求められるのです。

 ここで、「預言者を立てる」という言葉には、未完了形の動詞が用いられています。未完了形とは、ある動作が継続していて、完了していないという文法的な表現です。つまり、継続的に預言者が立てられるということで、イスラエルを指導する者が絶えることはないという約束と読むことが出来ます。

 預言者が立てられる根拠は、民がホレブでそれを求めたからと言われます(16節)。それは、モーセが十戒を授かった折、民がモーセに御言葉の取次ぎを頼み、神が直接民に語りかけることがないようにして欲しい。そうでないと死んでしまう、と願ったことです(出エジプト記20章19節)。

 神がモーセをイスラエルの指導者として任命したのも、ホレブでした(同3章1節)。その際、「このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう」と言われました(同4章12節)。ですから、これから立てられる預言者も、「その口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう」と言われます(18節)。

 ホレブに関わりのある預言者として、エリヤの名を挙げることが出来ます。エリヤは、カルメル山でバアルとアシェラの預言者らに打ち勝ちましたが(列王記上18章)、その後、アハブ王の后イゼベルに脅されて(同19章2節)、南方に逃げ出します。もう死んでしまいたいと思うほど、追い込まれてしまいました(同4節)。

 御使いがエリヤを励まして、ホレブまで連れて行きます(同5節以下、8節)。エリヤはそこで、主の御前に立たされされます。そして、激しい風が起こって岩を砕いたり、地震が起きたり、火が降って来たりしました(同11,12節)。

 これは、モーセがシナイ山で主から律法を授かったときの光景を思い起こさせます(出エジプト記19章16節以下)。つまり、エリヤが第二のモーセとして立てられたかのような印象です。

 そして、モーセとエリヤといえば、主イエスの山上の変貌の出来事を思い出します。主イエスがご自分の受難と復活をはっきり語られてから、高い山に登られました(マルコ9章2節以下など)。そこにエリヤがモーセと共に現れて、姿のお変わりになった主イエスと語り合っていたというのです。

 そのときに天から、「これはわたしの愛する子。これに聞け」(同7節)という声がします。「これに聞け」という声は、冒頭の言葉で「あなたたちは彼に聞き従わねばならない」と言われていることです。つまり、申命記における約束の預言者とは、モーセとエリヤからバトンを受けた神の御子イエス・キリストのことであると、福音書記者は告げているのです。

 使徒言行録でも、申命記18章18,19節を引用しながら、使徒ペトロが、モーセのような預言者とは、まさにイエスのことであると、説教の中で語っています(使徒3章21節以下)。

 こうして神は、エジプトを出て以来、イスラエルの民のために御言葉を語る預言者を備え、その御旨を示し続けて来られました(ヘブライ書1章1節)。その最後に御子イエスをお遣わしになったのです(同2節)。

 御子イエスは私たちに永遠の命を授け(ヨハネ福音書3章16節)、神の子とし(同1章12節)、天の御国に導き入れてくださいます。御子は今も生きておられ、御自分を信じる者を完全に救うことがお出来になるのです(ヘブライ書7章25節)。

 今日も、信仰をもって神の御言葉に耳を傾けましょう。その恵みのうちを歩みましょう。

 主よ、イスラエルの民を救い出すためにモーセをお立てになり、神の救いが全人類に及ぶように御子イエスをお遣わしくださいました。その恵みに感謝し、怠らず御言葉に耳を傾け、霊に燃えて主に仕える者としてください。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祝福を祈らせてください。 アーメン