「アビブの月を守り、あなたの神、主の過越祭を祝いなさい。アビブの月のある夜、あなたの神、主があなたをエジプトから導き出されたからである。」 申命記16章1節

 16章には、「三大祝祭日」についての規定が記されています。

 年の初めに行われるのは、「主の過越祭」です。冒頭の言葉(1節)で「アビブ」とは、出エジプト記9章31節の「大麦はちょうど穂の出る時期で」という言葉の「穂」のことです。即ち、「アビブの月」とは、大麦が穂を出す月ということで、現在の3~4月を指しています。出エジプト記12章2節に「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい」とあります。

 なお、エステル記3章7節に「クセルクセス王の治世の第十二年の第一の月、すなわちニサンの月に」とあります。「ニサン」とは、バビロンの暦で正月を指す表現です。

 メギドでヨシア王率いるユダヤの軍をエジプトのファラオ・ネコが撃破しましたが(列王記下23章29節)、バビロン軍がそのエジプト軍をカルケミシュで打ち破り、パレスティナを支配下に置くことになりました。その頃からバビロンの暦が用いられるようになったようで、「ニサンの月」も、イスラエルの正月を指すことになります。

 イスラエルの民は、大麦が穂を出す1月の14日の夜、主の過越祭を祝います(出エジプト記12章6,18節)。過越祭は、エジプトの全家を襲った災いがイスラエルの家を過ぎ越し、つまり、ただ通過するだけで、何の災いも起こさなかったという出来事を記念するものです。この出来事によって、イスラエルの民はエジプトの奴隷の苦しみから解放されたのです。

 イスラエルの民は、これまでも繰り返し、過越祭を含む三大祝祭日を守るように、命じられて来ました(出エジプト記23章14節以下、34章18節以下、レビ記23章4節以下、民数記28章16節以下)。

 大麦の収穫を喜び祝う祭りをエジプトから導き出された過越の出来事と融合させ、それを正月とすることで、年の初めに大麦の収穫をお与えくださった主なる神に感謝すると共に、出エジプトに示された神の恵みの出来事を想起させて感謝し、信仰を新たにします。

 農事暦とイスラエル救済の出来事が一つになって祝われるということは、イスラエルが約束の地を獲得して、そこで農業を営む平和な社会を築くことが出来るということです。そして、そのような生活を営むことが出来るのは、神の救いの出来事がなされたためであるということを、年三度の祭りのリズムで記念し(3節)、信仰を養うのです。

 今日、私たちは過越祭をイースターとして祝います。パウロが「いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです」(第一コリント5章7節)と記しているのは、過越祭とイースターとの結びつきを示しています。

 過越の小羊を屠り、その血を鴨居と入り口の二本の柱に塗った家は、初子が打たれるという災いが過ぎ越しました(出エジプト記12章)。小羊が初子の身代わりになったかたちです。

 過越の小羊として十字架で血を流された主イエスを仰ぐ者は、律法の呪いから開放され、救われます。神の御子キリスト・イエスが私たちの身代わりとなられたのです。コリントの人々は、勿論ユダヤ人ではありませんが、このように、パウロを通して主の過越を主イエスによる自分たちの救いの出来事として学んだのです。

 主イエスは十字架にかけられる前日、弟子たちと最後の晩餐をなされ(マルコ14章22節以下)、それを記念として行えと命じられました(第一コリント11章24,25節)。最後の晩餐は、年に一度行われる過越の食事でした(マルコ14章12節など)。

 キリスト教会は、この過越の食事を、年に一度ではなく、多くのプロテスタント教会では月一度(第一日曜日)、カトリック教会の修道院では毎日、主の晩餐(聖餐=ミサ)として頂いているのです。

 「過越のいけにえを屠ることができるのは、あなたの神、主が与えられる町のうちのどこででもよいのではなく、ただ、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所でなければならない」(5,6節)というのは、民が主の定められた場所において、皆で会食するということです。

 「パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです」(第一コリント10章17節)とあるように、主の晩餐式は、会衆が一致してキリストの体なる教会を建て上げるために定められています。絶えず神より賜った恵みを思い起こし、心から主を賛美しましょう。

 主よ、私たちがあなたを神として選んだのではありません。あなたが私たちを選び、神の子どもとしてくださいました。そのために御子キリストが犠牲を払われました。毎月第一主日(日曜日)に、主の贖いを記念する晩餐式を執り行います。主の恵みを無駄にせず、委ねられた宣教の使命を果たすことが出来ますように。伝道する教会、主の恵みを証しする信徒になることが出来ますように。 アーメン