「彼に必ず与えなさい。また与えるとき、心に未練があってはならない。このことのためにあなたの神、主はあなたの手の働きすべてを祝福してくださる。」 申命記15章10節

 1節に「7年目ごとに負債を免除しなさい」とあります。「負債を免除しなさい」は、「負債の免除」(シェミッター)と「実行せよ」(タアセ)という言葉遣いで、2節に「負債を免除する」(シャーマト)という動詞形があります。

 名詞形の「シェミッター」はすべて申命記だけで用いられていますが、動詞形の「シャーマト」は出エジプト記、サムエル記、列王記、歴代誌、詩編、エレミヤ書などで合計10回用いられています。一番最初に登場する出エジプト記23章11節で、「休ませる」と訳されているのが「シャーマト」です。

 7年周期でその終わりの年、7年目は、土地を休ませて休閑地としなければならないと規定されています。農耕を休むというのは、土地を休ませるということですが、その主眼は、自然に実ったものを民の貧しい者や野の獣の食物とすることで、即ち、自分たちのために畑地を利用して収穫を得ることが禁じられているのです(レビ記25章2節以下も参照)。

 土地を休ませる安息年の規定に続けて、安息日が規定されています(出エジプト記23章12節)。それは、家畜や奴隷、寄留者が休みを得て、元気を回復するという人道的な規則です。

 今日の箇所では、土地を休ませるという規定が経済活動に広げられて、7年目(安息年)ごとに同胞の負債を免除しなさいと命じられています。さらに12節以下には、7年目ごとに同胞の奴隷を解放せよと定められています。

 ただ、負債を免除する対象はイスラエルの同胞に限られており、外国人からは取り立ててもよいとあります(3節)。どうように、解放されるのは同胞ヘブライ人の奴隷だけで、捕虜になって奴隷とされたものを解放せよとはいわれていません。つまり、これらの命令は、経済的ルールではなく、イスラエル同胞を家族と見なすようにという命令なのです。それを、安息年ごとに確認せよということです。

 家族の間で貸し借りが生じること、負債が生じることがあるでしょう。その負債について、7年ごとに免除して関係を新しくせよというのです。家族に対してというなら、そういうこともあるかなと思いますね。家族相手なら、負債免除だけでなく、追加支援、追加投資ということだってあるでしょう。

 勿論、家族ならば無責任に貸し借りしてもよいということではありません。借りた物は返す義務があるでしょう。責任を果たさない人は、信用されなくなりますよね。けれども、事情によっては、それが出来ないこともあります。そのようなとき、7年目にはそれを免除しなさいと言われます。イスラエルの民がこの命令に聞き従う時、貧しい者はいなくなると約束されています(4節)。

 負債を免除したから、それで貧しい者がいなくなるというのではありません。借金体質そのものが直らなければ、直にまた借金生活に逆戻りです。冒頭の言葉(10節)にあるとおり、主が命令に従う者の手の働き、その務めを祝福されるというのです。換言すれば、神の祝福を受けるために、同胞の負債を免除せよということです。

 考えてみてください。私たちは負債を免除するほうでしょうか、免除されるほうでしょうか。そうです。私たちは、主によって免除される側の人間です。今も、毎週7日目ごとに主なる神から負債を免除していただいています。主の赦しなしには生きられません。

 これまで、主イエスによって、どれほどの負債を免除されてきたでしょうか。計算することも出来ませんが、主イエスがご自分の命で払わなければならないほどの負債です。私たちが自分で負いきれない負債を、主イエスが身代わりに受けてくださったのです。それは、私たちを神の家族、主の民とするためです。

 そんなことをして、主イエスに何の得、何の益があるのでしょうか。何もありません。ただ、私たちが真の救いに与ったとき、救いが完成したとき、主イエスは神の家族、主の民を一人得ることになります。つまり、主なる神は神の家族を獲得するために、ご自分の独り子を犠牲とされ、私たちの負債を免除してくださったのです。ただ感謝あるのみです。

 戒めを忠実に守るならば、その結果、「多くの国民に貸すようになる」(6節)、「多くの国民を支配するようになる」(6節)という祝福の約束も記されています。国民に貸す、支配するというのは、相手を酷い目に遭わせるというようなことでは決してない。愛をもって人々に仕える、主イエスのような者に変えられるということでしょう。そして、更に豊かな祝福に与らせていただくことでしょう。

 家族が共に愛し合う、共に歩み、共に生きることが出来る、これが最も大きな祝福です。貧しい者は一人もいない。豊かに生きることが出来るという祝福です。神が御言葉に従う者たちに、その祝福をお与えくださるのです。

 私たちが日毎に頂いている御言葉ひとつひとつを、注意深く真剣に聴きましょう。今私たちは、御言葉を聴き、御言葉に従う訓練を、この申命記を通して与えられているのです。絶えず主の御言葉に耳を開き、注意深く聴いて、従って参りましょう。

 主よ、あなたはキリストを通して賜った愛をもって、互いに愛し合えとお命じになりました。本当にどれほどの愛をキリストから賜ったか、悟らせてください。心と体で教えてください。そして、主の民、神の家族として愛し合うことを学ばせてください。互いに助け合い、赦し合い、仕え合うことが出来ますように。 アーメン