「あなたは、何ということをしたのですか。わたしは敵に呪いをかけるために、あなたを連れて来たのに、あなたは彼らを祝福してしまった。」 民数記23章11節

 モアブ人の王バラクは、預言者バラムが自分の思い通りにイスラエルを呪ってくれると期待しました。バラクはアモリ人をうち破ったイスラエルを恐れていました。自分たちを守るためには、神の呪いをかけてもらうしかないと考え、最強の預言者バラムを、ユーフラテス川流域の町ペトルから招いたのです。それが成功すれば、報酬に糸目を付けないつもりでした。

 バラク王に招請された預言者バラムは、王の意に適う預言をしなければ、預言者としての地位や経済的な基盤だけでなく、生命さえ失うこともあり得ます。安定した豊かな生活を望むなら、王の意に添う預言をすることでした。

 しかし、22章の出来事を通じてバラムは、神の告げられたことだけを語るように、強く示されていたのです。預言者とは、神が告げられたことをそのまま語る務めをなす者です。人の意向を汲み、相手の気に入る言葉を語るというのであれば、それは預言ではなく、甘言、巧言でしょう。聞く人の気持ちをよくするというだけで、実際には何の助けにもなりません。

 「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(サムエル記上15章22節)という言葉があります。御言葉を聞くために犠牲がささげられましたが(2,14節)、神が喜ばれたのは、謙って神に聴き従うバラムの心でした。

 バラムは、モアブの王バラクの求めに従ってイスラエルを呪うどころか、逆にイスラエルを祝福する言葉を告げます。イスラエルを祝福し、出来ることならイスラエル人になりたい(10節参照)とまで言うバラムに驚愕したバラクは、彼を別の場所に連れて行きます(27,28節)。

 預言者バラムがイスラエルを祝福したのは、イスラエルの民の数や勢いに圧倒されたのかも知れないとバラクは考えたのでしょう。だから、イスラエルを呪うことに集中してもらうため、彼らの姿が見えないところで、呪いの儀式を行ってもらいたいと考えたわけです。

 しかし、手を変え、品を買えてもバラムはイスラエルを祝福することをやめません。自分たちの生存を脅かすイスラエルを祝福する言葉は、バラクにとって聞くに堪えない、むしろ自分自身への呪いの言葉に聞こえたことでしょう。

 とうとうバラクは激しく怒り、バラムを無報酬で追放することになります(24章10~11節)。バラクの心は、イスラエルに対する恐れとバラムに対する怒りで、ますます混乱してしまったでしょう。彼はどうすればよいのでしょうか。

 バラムがイスラエルを祝福して、「見よ、これは独り離れて住む民、自分を諸国の民のうちに数えない」(9節)と語っています。独り離れて住むというのは、独りぼっちということではなく、他には類を見ないとてもユニークな存在、神に選ばれた特別な民であるという意味です。それは、イスラエルが祝福の源であり、すべての民はイスラエルによって祝福に与ることが出来るということでしょう。

 神はアブラハムに対して「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」(創世記12章2,3節)と約束されました。バラムはイスラエルを祝福して、神の祝福に与ったのです。

 考えてみると、バラムはバラクに逆らっているのではありません。むしろ、バラクを守り、祝福に与らせようとしているわけです。イスラエルを祝福することがバラムの祝福となり、彼を招請したモアブ王バラクとその民を祝福することになるからです。

 逆に、イスラエルを呪うことは、自分に呪いを招くことです。このことは、ロバが預言者バラムの言うことを聞かなかったのは、主の御使いの剣からバラムを守ろうとしたことだったという出来事と同じです。

 しかし、敵を祝福するのは、バラクでなくても、容易く出来ることではありません。自分の感情に従うならば、それは不可能でしょう。もし出来るとすれば、それは神の御言葉に信頼することです。神が祝福せよと言われるから、敵を祝福するのです。

 それをまず神が、私たちのためにそれを行ってくださいました。神は、私たちがまだ弱かったとき、罪人であったとき、敵であったときに私たちを愛して、私たちのために独り子イエス・キリストを遣わし、十字架で贖いの業を完成してくださったのです。

 私たちを愛して命を捨ててくださった主イエスの教えに従い、呪いの相続を祝福の相続に変えましょう。呪いの言葉を祝福の祈りに変えて、幾千代にも及ぶ神の祝福に与らせていただきましょう(出エジプト20章6節など参照)。

 主よ、以前、ルワンダの和解のプロジェクトについて聞きました。国の復興は、敵を赦すことからしか始まらないと教えられました。感動でした。自分を傷つけた者を決して赦せないでいる私たちを、敵を赦し愛する者と変えてください。敵としか思えない人のために祝福を祈る者としてください。主の平和と喜びが私たちの心を満たしますように。 アーメン