「わたしのために聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう。」 出エジプト記25章8節

 主はモーセに対し、「イスラエルの人々に命じて献納物を持って来させなさい」(2節)と仰せになりました。それは、冒頭の言葉(8節)のとおり、イスラエルの民の中に住まわれると言われる主のための「聖なる所」、すなわち、神の幕屋とそのすべての祭具(9節)を造らせるためです。

 献納するように言われたのは、金、銀、青銅という金属材料(3節)、青、紫、緋色の毛糸、亜麻糸、山羊の毛(4節)、赤く染めた雄羊の毛皮、じゅごんの皮(5節)、アカシヤ材という木材(5節)、灯火のための油、種々の香料(6節)、ラピス・ラズリやその他の宝石類(7節)です。

 最初に造るように命じられたのは、箱です(10節)。その中に、十戒の記された「掟の板」を納めます(16節)。それで「掟の箱」(22節、26章33節、16章34節など)と言われます。この箱は、垂れ幕の奥(26章33,34節、40章21節)、つまり至聖所に置かれて、聖所から見られないようになっていました。

 箱の材料に用いるアカシヤの木は、普通直径40~50センチ、樹高5~10メートルに至るまめ科アカシヤ属の木です。自らを守るために鋭いとげがあります。まめ科なのでよく乾燥に耐え、根を深く張り、根粒バクテリアをもって自ら空気中の窒素を取り込んで、養分とします。

 アカシヤ材はオレンジ色で、堅くて、病虫害に強く、腐り難いので、建築材や家具など利用価値があります。これは、荒れ野で鍛えられたからこその堅牢さなのかも知れません。

 次に、贖いの座を純金で作ります(17節)。それから、ケルビムを作って贖いの座につけます(18,19節)。ケルビムは複数形で、単数形はケルブです。だから、岩波訳はケルビムを「ケルブたち」と訳しています。ケルブとは、スフィンクスのように頭は人間、体は動物、4本の足に二つの羽を持つ天上の生き物です。

 創世記3章24節では、命の木を守るためにエデンの園の東に置かれたと言われています。ここでも、掟の箱とその中に納められた掟の板を守る役割が与えられていると考えてよいでしょう。

 また、サムエル記上6章2節の「ケルビムの上に座す万軍の主の御名によって」という言葉、サムエル記下22章11節の「(主は)ケルビムを駆って飛び、風の翼に乗って現れる」という言葉で、神の乗り物としての役割も果たしていたようです。

 この贖いの座を掟の箱の上において、箱の蓋とします(21節、26章34節)。22節に「贖いの座の上からあなたに臨み」とあるとおり、これは神の臨在を表すものであり、礼拝において、主なる神が人とお会いになる場だということです。

 特に、大祭司が年に一度、自分の罪とイスラエルの民の罪のためにいけにえの血を贖いの座とその前方に振りかけ、贖いの儀式を行います(レビ記16:11~17)。だから、「贖いの座」と言われるのです。

 次に、机を造ります(23節以下)。この机は、主の前にパンを供えるためのもので(30節)、至聖所の垂れ幕の手前、聖所の北側に置かれます(26章35節、40章22節)。

 パンを供えるのは、それが神の食物というのではなく、神が食べ物、飲み物をお与えくださることへの感謝を表わすためです。つまり、食べ物、飲み物は神のくださるものであるということを示しています。そして、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ福音書4章4節)という言葉から、このパンは、神の言葉を象徴しているということも出来ます。

 それから、燭台を造ります(31節以下)。これは主柱の両側に三本ずつ支柱がつけられ、合計七つの枝がある「燭台」(メノラー:31節)です。この燭台は、祭司らが礼拝を行う場所を照らす灯火として、幕屋の中の垂れ幕の手前、即ち聖所の南側に置かれます(26章35節、40章24,25節)。

 マタイ福音書3章11節の「その方は、聖霊と火であなたたちにバプテスマをお授けになる」という言葉や、使徒言行録2章3節の「炎のような舌が分かれ分かれに現れ」という言葉から、灯火は聖霊を象徴しているといっても良さそうです。

 こうして、主のための「聖なるところ」(8節)が造られていきますが、それは何よりも先ず、主の臨在が現され、神を礼拝するところです。賛美をもって絶えず主を心の王座に迎え(詩編22編4節、歴代誌下5章13節参照)、聖霊に満たされ、霊に燃えて主を礼拝しましょう(ローマ書12章11節)。

 主よ、あなたが私たちの間に、私たちと共に住まわれ、共に歩んでくださることを感謝致します。主が共におられることに勝る平安、喜びはありません。あなたこそ私たちの希望と平安、慰めの源だからです。心から御名をほめたたえます。日々命の言葉によって生かされ、御霊の力を受けてキリストの証人となることが出来ますように。 アーメン