「この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。」 出エジプト記12章14節

 主なる神は、エジプトに最後の災いを下すと宣告されましたが(11章参照)、モーセとアロンに、「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい」(2節)と言われました。エジプトからの脱出を記念して、その月を正月とするということです。

 なお、正月については、大贖罪日が7月で、直後に仮庵祭が行われることなどから、もともとイスラエルでは秋に正月を祝っていて、後にメソポタミアの暦に倣って春に移されたと考えられています。その時期については、①アハズの時代(紀元前744~729年)、②エホヤキムの時代(前608~598年)、エルサレム滅亡後(前587年以降)など諸説あります。

 主は、正月14日の夜に最後の災いを下すことを決め、4日前の正月10日には小羊を調達しておくこと(3節)、14日当日は夕暮れに小羊を屠り(6節)、その血を入り口の二本の柱と鴨居に塗り(7節)、そしてその夜、小羊の肉を焼き、酵母を入れないパンと苦菜を添えて食べること(8節)、そのときには、腰に帯を締め、靴を履き、杖を手にして急いで食べよと指示されます(11節)。

 それは、エジプト人にせきたてられるまま、ファラオの気が変わらないうちに出立しなければならないからです。イスラエルの民は、主が命じられたとおりに行いました(28節)。

 真夜中になって、主がすべての初子を撃たれたので、大いなる叫びが国中に起こりました(29,30節)。しかしながら、ゴシェンのイスラエルの民の家には災いが起こりませんでした。小羊の血がしるしとなって、主はその家をパス・オーバー=過越したのです(13,27節)。

 ファラオはモーセたちを呼び出し、「さあ、わたしの民の中から出て行くがよい、あなたたちもイスラエルの人々も。あなたたちが願っていたように、行って、主に仕えるがよい。羊の群れも牛の群れも、あなたたちが願っていたように、連れて行くがよい。そして、わたしをも祝福してもらいたい」と言います(31,32節)。

 この言葉は、ただ礼拝しに行くことだけを許可したということではなく、帰国をも許す表現でしょう。エジプト人はイスラエルの民の望むままに金銀の装飾品や衣類を与えて、急いで国を去らせようとしました(33節以下)。そうしなければ、初子を失うだけでなく、みんな死んでしまうと思ったからです。

 イスラエルの民は、ヤコブの家族70人がエジプトに下って来てから(1章1節以下5節、創世記46章)、430年ぶりにエジプトを去り、故郷を目指します(40節)。彼らは、430年の間に、壮年男子だけでおよそ60万人になっていました(37節)。ということは、女性に子ども、老人を加えると、200万人にもなっているということでしょう。

 エジプト人はじめ異邦人との混血を繰り返したとしても、にわかには信じがたい、およそ考えられない数です。ところが、確かにこれは、神がイスラエルを祝福しておられたという証拠です(1章7,12,20節参照)。

 イスラエルの民は、エジプトの奴隷の苦しみから解放され、神の民イスラエルとしての歩みを始めました。冒頭の言葉(14節)のとおり、そのことを毎年記念するように命じられているのは(17,24,25節も参照)、この出来事が神の民イスラエルの原点となったからです。

 神はこの出来事を「主の過越」(11節)と呼ばれました。そこから、この出来事を記念して祝うこの祭りを「過越祭」(43節)と呼びます。私たちキリスト教徒はこの日を、キリストの受難と復活を祝うイースターとして大切に守っています。主イエスが、過越祭のときに十字架につけられ、そして、三日目に甦られたからです。

 洗礼者ヨハネが主イエスを「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言いました(ヨハネ福音書1章29節)。それはヨハネが主イエスを主の過越に屠られる小羊に見立て、キリストの十字架の血によって、私たちに下されるべき罪の呪いがパス・オーバー=過越されたと語っているのです。

 命ぜられるまでもなく、キリストの十字架の贖いによって救いの恵みに与ったことを、代々にわたり不変の定めとして祝い続けましょう。

 主よ、あなたはエジプトの奴隷であったイスラエルの民を贖い出して御自分の民とされたように、罪に縛られていた私たちを贖い、神の民としてくださいました。そのために、御子キリストが十字架で死に、贖いの御業を成し遂げてくださったことを心から感謝致します。主の救いに与った者として、その恵みを喜んで証しするものとならせてください。 アーメン