「人々は、3日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかったが、イスラエルの人々が住んでいるところにはどこでも光があった。」 出エジプト記10章23節

 1節で主がモーセに「ファラオのもとに行きなさい。彼とその家臣の心を頑迷にしたのは、わたし自身である」と告げられます。そこでモーセはアロンと共にファラオのところに行き、「いつまで、あなたはわたしの前に身を低くするのを拒むのか。わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせなさい」(3節)という主の言葉を伝えます。

 それに対するファラオの返答は記されませんが、モーセが「身を翻してファラオのもとから退出」(6節)したということですから、良い返事を聞くことは出来なかったようです。ところが、「家臣の心を頑迷にした」(1節)と言われていたにも関わらず、家臣たちがファラオに「即刻あの者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてはいかがでしょうか」(7節)と進言します。

 それでファラオはモーセを呼び戻し、「行って、あなたたちの神、主に仕えるがよい」(8節)と言いますが、若い者も年寄りも、息子も娘も羊も牛もと(9節)、すべての者が主の祭りのために行くと聞くと、態度を一変させ、「わたしがお前たちを家族ともども去らせるときは、主がお前たちと共におられるように。お前たちの前には災いが待っているのを知るがよい」(10節)と拒絶しました。

 そして、「行くならば、男たちだけで行って、主に仕えるがよい」(11節)と言います。そうすれば、彼らは女子どもの待つエジプトに戻って来なければならないからです。それがファラオの最終判断であることを示すかのように、モーセを追い出してしまいました。

 それに対する主の応答が「いなごの災い」(12節以下)です。いなごは、雹の害を免れたすべてのものを破壊し尽くします(5,12,15節)。「いなごは、エジプト全土を襲い、エジプトの領土全体に留まった」(14節)、「いなごが地の面をすべて覆ったので、地は暗くなった」(15節)と言われていて、神がエジプトを徹底的に裁こうとしている事が伺えます。

 ファラオは慌ててモーセを呼び、「あなたたちの神、主に対し、またあなたたちに対しても、わたしは過ちを犯した」(16節)と謝罪し、いなごを去らせてくれるよう願います。それでモーセが主に祈ると(18節)、主は西風を起こし、いなごを吹き飛ばして一匹残らず葦の海に追い遣られました(19節)。

 ところが、それを見るとファラオはまた頑迷になり、イスラエルの人々をさらせはしません(20節)。そこで主は、9番目の災いとして「暗闇の災い」(21節以下)を臨ませます。エジプト全土を暗闇が襲い、冒頭の言葉(23節)のとおり、「3日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかった」のです。

 3日間というのですから、それは、日食というのではありませんし、互いに見ることも、立ち上がることも出来ない暗闇とは、夜の闇のようなものではないでしょう。というのは、夜の闇のようなものならば、灯火を持ってくれば、互いに見ること、立ち上がって歩き回ることが出来るからです。

 ですからそれは、灯火をもってしても全く明るく出来ない、まるで空気を黒い色で染めてしまったかのような、漆黒の闇に閉ざされてしまったということでしょう。考えただけで窒息してしまいそうになるほどの、どこまでも深い闇が、エジプトの人々を覆い包んでいたのです。

 それは、神が光を創造される前の「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり」(創世記1章2節)という状況に戻ってしまったかのようです。

 ところが、「イスラエルの人々のいるところには、どこでも光があった」(23節)と記されています。これは、ファラオにとって最も屈辱的なことではなかったでしょうか。というのは、ファラオは、エジプトで人々が崇拝している最高太陽神アメン・ラーの化身と考えられていたからです。

 しかしながら、太陽もファラオの威光も、主と主が遣わされたモーセの前に全く歯が立たないこと、そして、主に従う者は光の内を歩むことが出来るということを、いやというほど見せつけられたのです。

 天地創造の初め、神が「光あれ」と言われると、光が現れました(創世記1章3節)。この光は、太陽光ではありません。太陽などは、第四の日に造られるからです(同14節以下)。

 主イエスは、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8章12節)と言われ、また、「わたしを信じる者が、だれも暗闇の中に留まることのないように、わたしは光として世に来た」(同12章46節)と語られました。主イエスが暗闇に輝く光であられ(同1章5節)、主に従う者に神の栄光を表わしてくださるのです(第二コリント4章6節参照)。

 ファラオは、「羊と牛は残しておけ」という条件付きで「行って、主に仕えるがよい」(24節)と許可しますが、家畜も連れて行くというモーセに(26節)、「引き下がれ。二度とわたしの前に姿を見せないように気をつけよ。今度会ったら、生かしてはおかない」(28節)と宣告します。

 けれども、頭を冷やして冷静に考えれば、災いによって命が脅かされているのはファラオの方ですし、本当に二度とモーセの顔を見たくないのであれば、むしろ、イスラエルの民を去らせてしまえばよかったのです。

 このとき、ファラオは暗闇を取り除くように願いませんでした。まさにファラオの心を暗闇が支配していて、自分が何をしているのか分からなくなっていたのです。ファラオのメンツ、プライドが、光を遮る高い壁となっていたわけです。

 第二次世界大戦の敗色濃い1945年2月、ときの首相・近衛文麿が昭和天皇に所謂「近衛上奏文」を奏上し、軍部を押さえて欧米と和平を結ぶべきと主張しました。それに対して天皇は、「もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う」として、否定的な態度をとります。

 これが3月の東京大空襲から沖縄戦、そして決め手となる広島、長崎への原爆投下を受けて、8月15日の「遅過ぎた聖断」となりました。もしも昭和天皇が、近衛首相の上奏文で英断を下し、行動を起こしていれば、沖縄を本土防衛の捨て石とすることも、その後、本土が焼かれ、原爆が投下されることも回避出来たはずです。

 ただし、敗戦を受け入れる心があればということですが、それは誰にでも、容易く出来るということではありません。本当に面子、プライドがそれを邪魔します。謙遜に頭を下げることが出来ません。結局、行き着くところまで行って、無条件降伏するしかなかったわけです。

 「だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神があなたがたのことを心にかけていてくださるからです」(第一ペトロ書5章6,7節)。

 主よ、私たちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光をお与えくださり、感謝します。私たちはイエス・キリストの命をもって買い取られました。主イエスは私たちのために、十字架の死に至るまで従順であられました。私たちも主の御前に謙り、主の栄光を表わす器、主に従順な一つの群れとして、御業のために用いてください。 アーメン