「ヨセフは兄弟たちに言った。『わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。』」 創世記50章24節

 ヤコブの死を受けて(49章33節)、ヨセフは侍医たちに遺骸の防腐処置を命じます(2節)。それは、ヤコブの遺骸を遠くパレスティナまで運ぶために必要な処置でした。どれほどの手数、費用がかかる処置だったか、「そのために40日を費やした」(3節)という言葉が暗示しています。

 その期間も含め、エジプト人がヤコブのために「七十日の間喪に服した」(3節)と言われます。アロンとモーセのための服喪期間が30日(民数記20章19節、申命記34章8節)、イスラエル初代の王サウルのために、ヤベシュの住民が七日間断食したと記されていました(サムエル記上31章13節)。ヤコブのための期間の長さは群を抜いています。

 エジプトの王のための服喪期間が72日という記録があるそうで、ヤコブはエジプト王に匹敵する扱いを受けていることになります。葬りのためにカナンの地に向かうヨセフと家族に同行するエジプトの重臣や長老(7節)、そして戦車や騎兵(9節)という盛大な葬列も、エジプトの偉大さを誇示する目的もあるでしょうが、ヤコブがエジプトにとってそれほど重要な人物だということを示しています。

 勿論、ヤコブはエジプトでどれほどのことをしたというのでしょう。ただ、神がヨセフを通じてエジプトでなさった出来事の恵みに与ったということです。「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです」(ローマ書11章36節)。あらためて、神の憐れみ深さを思います。

 ヤコブの子らは、父に命じられていたとおり、マムレの前にあるマクペラの畑の洞穴に葬りました(12,13節、49章29節以下)。そして彼らは、またエジプトに戻りました(14節)。

 ヤコブを葬った後、ヨセフの兄たちは、かつて自分たちが行った悪をヨセフがまだ恨みに思っていて、報復されるのではないかと恐れてしました(15節)。

 そこで人を介して、父ヤコブの言葉として「お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい」(17節)と告げ、「あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください」(17節)と謝罪します。

 それを聞いたヨセフは、涙を流しました。それは、父の死の悼みに加え、兄弟たちとの間に信頼関係が十分でなかったという思いと、これから真の関係を築くことが出来るという思いが入り交じった、悲喜こもごもの涙でしょう。

 そして、「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたは悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」(19,20節)と語ります。これは、ヨセフと兄たちとの間に神が介入しておられるということです。

 ヨセフも兄弟たちも、共に神の御前におかれています。過去、現在、未来のすべてのことが御手のうちに収めてられています。そして、ヨセフがエジプトに奴隷として売られたことを、神が善に変えられました。世界各地を襲った飢饉からエジプトを救い、カナンの地にいるヤコブの家族を救うために、主なる神は、兄弟たちの悪巧みでエジプトに売られたヨセフを用いられたのです(45章5節以下)。

 神がなさったことに、人が付け加えることはありません。そんなことをすれば、悪を善に変えられた神の御業を台無しにしてしまいます。それは「神に代わること」で、それこそ、ヨセフが神に裁かれることになります。

 ヨセフも、自分の死を前に、神の約束の御言葉を信じ、約束の地に遺骨を携えて上るよう、指示を与えます(25節)。冒頭の「神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます」(24節)という言葉が、ヨセフの信仰を明確に示しています。

 神は、全人類をその罪の呪いから救い出すため、主イエスをこの世に遣わされました。そして、主イエスの評判を妬み、亡き者にしようという祭司長,律法学者ら宗教指導者たちの悪巧みを、全人類の救いに変えられました。キリストの十字架の死によって、全人類の罪を贖われたのです。

 また、死が甦りの命に変えられました。その「苦難の僕」(イザヤ書52章13節以下)に、天と地のすべての権威、権能を授けて、支配者とされたのです(マタイ福音書28章18節)。

 パウロが、「わたしたちはバプテスマによってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」(ローマ書6章4節)と記しています。

 この世は滅びに向かって突き進んでいるように見えます。確かに、この世は終わりのときを迎えます。世界を創造されたお方が、この世の終わりをも設けられます。そしてそれは、新しい世界の始まりなのです。

 初めであり、終わりである方、アルファであり、オメガである方、今おられ、かつておられ、やがて来られるお方は(黙示録1章8節、22章13節)、私たちのために、万事が益となるように共に働いて下さるお方です(ローマ書8章28節)。

 昨日も今日も、永遠に変わらない主の御言葉に耳を傾け(ヘブライ書13章8節)、信仰をもって歩みましょう。

 主よ、あなたは私たちの涙をぬぐい、どんなマイナスの出来事も益に変えて下さるお方です。ヨセフの苦しみは、エジプトを救い、そして家族を救いました。主に信頼することこそ、私たちの希望であり、力の源です。弱い私を憐れみ、信仰に堅く立つことが出来ますように。 アーメン