「ノアの子孫である諸氏族を、民族ごとの系図にまとめると以上のようになる。地上の諸民族は洪水の後、彼らから分かれ出た。」 創世記10章32節

 10章には、ノアの息子たち「セム、ハム、ヤフェトの系図」が記されています。その最後に冒頭の言葉(32節)のとおり「ノアの子孫である諸氏族を、民族ごとの系図にまとめると以上のようになる。地上の諸民族は洪水の後、彼らから分かれ出た」と語られています。ノアの子孫が全世界に増え広がって行ったわけです。

 それは、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」(9章1節)と神がノアたちを祝福してくださった結果です。ということで、この系図は、すべての民族が一つの家系から出たということを表わしているのです。

 ノアの三人の息子たちの系図について、ヤフェトの子孫(2節以下)は、パレスティナ北方並びに地中海沿岸の国々に広がっています。ハムの子孫(6節以下)は、パレスティナの南方の国々に広がっています。セムの子孫(21節以下)は、「エベルのすべての子孫の先祖」と記されています。

 「エベル」とは、ヘブライ人(イブリー)を指していると思われます。もともと「渡って来た」という言葉で、海や川の向こう側から移住してきた人々を意味します。地域的には、パレスティナ東方に広がっています。また、「セム、ハム、ヤフェトの系図」と言っておいて、セムが最後に取り上げられています。これは、セムの系図が最も重要なものであることを示しています。

 とはいえ、目につくのは、ハムの系図です。一番大きな分量を占めています。特に、ニムロドに注目させています。彼は「地上で最初の勇士となった」(8節)、「主の御前に勇敢な狩人であり」(9節)と言われます。動物を屠って食べることが許されて(9章3節)、狩人を生業とする者が登場したわけです。

 ただ、「最初の勇士」、「勇敢な狩人」で連想されるのは、猛獣と戦って町を守るという人物像です。町を守る者というイメージは、やがて「王」を示すようになります。10節に、「彼の王国の主な町は」と記されているように、ニムロドは彼の王国の権力的支配者となっています。

 ニムロドの出身地クシュはエチオピアを指していますが、支配地域は、「シンアルの地」(10節)、即ちバビロニアです。そこから、「アッシリアに進み、ニネベ、レホボト・イル、カラ、レセンを建てた」と言われます(11,12節)。これは、歴史的な事実というよりも、イスラエルを苦しめた存在として、エチオピヤやバビロン、アッシリアなどの名が挙げられているのです。

 ニムロドに、「主の御前に勇敢な狩人」という形容詞がつけられているのは、アッシリア、バビロンの王がイスラエルを苦しめるのが、主の御心という表現だと考えると、大変興味深いところです。それは、シンアルの地が、11章でバベルの塔の物語と結び付けられているからです(10節、11章2,9節参照)。

 6節に、ハムの子孫として「カナン」の名が挙げられています。民族的には、カナンはセムの中に入れられるべきですが、カナンがエジプトの支配下に置かれていたということや、イスラエルと覇権を巡って争っていたこと、特に、カナン人のバアルやアシュラという異教の神礼拝がイスラエルの純粋な信仰を迷わせたという点で、イスラエルを苦しめたハムの子孫のグループに入れられたのでしょう。

 21節に、セムが「ヤフェトの兄であった」と記されています。敢えてハムの兄であることが伏せられているのは、9章20節以下の出来事、ノアによる呪いが関係しているのでしょう。それ以外に注目すべき点はありません。

 11章10節以下のセムの系図に「アブラム」(26節)が登場して来ます。「神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」(マタイ福音書3章9節)と言われますが、確かに神は、血筋や能力などではなく、恵みによっておのが民を選び、イスラエルを作り出されたのです。そして、その恵みによって、私たちも選ばれたのです。

 神は、洪水によってすべて完璧になったとは言われませんでした。洪水の前も後も不完全なまま、人は幼いときから心に思い図ることは悪いことばかりと言われたのです(8章21節、6章5節)。しかし、そこに慈しみ深き主なる神がおられ、私たちに恵みを与えていてくださいます。不完全な、ただの人である私たちを選び、キリストの教会を建て上げるために用いてくださいます。

 私たちが住んでいる町とその周辺、私たち信徒一人一人が置かれている家庭や職場、学校、地域が、私たちの宣教の最前線です。主イエスは、世界宣教のために宣教師を海外に派遣されたように、私たちをこの静岡周辺の宣教のために選び立てておられます。家族の救いのため、近隣への伝道の進展のために祈りましょう。

 命が親から子へ、子から孫へとつながれていくように、永遠の命、信仰の恵みも、主によって人から人へとつなげられていきます。そうした営みの背後に、世界宣教を祈る世界中の人々の祈りがあって、至るところに実を結んでいるのです。

 私たちも常に主を仰ぎ、共に御言葉に耳を傾け、御霊の力を受けて、主の教会を建て上げる働きのために熱く祈り、自らを神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとしてささげて参りましょう。それこそ、私たちのなすべき霊的な礼拝だからです(ローマ書12章1節)。

 主よ、セムの子孫としてアブラハムが生まれ、ダビデが生まれ、ダビデの子孫としてキリストが世に来られました。すべてが主の深い憐れみによるものでした。私たちも恵みによって救いに与り、神の民として頂きました。聖霊に満たされ、その力を受けて、主の証人としての召しにふさわしく歩み、この地にキリストの教会を建て上げる働きのため用いてくださいますように。 アーメン