IMG_20170630_00017月の御言葉

 詩編100編は、自分たちを創造された神をほめたたえる「賛歌」です。詩人は、全地に向かって賛美を呼びかけます(1節)。次いで、喜びをもって御前に進み、主に仕えよと告げます(2節)。
 
 「御前」とは、原語は「彼の顔」という言葉です。人間は、その罪深さゆえに、聖なる神の御顔を見ることは許されないと考えられていますが(出エジプト記3章6節、士師記6章22節など)、この表現は、神の御顔をはっきり見ることが出来るほどに近づくようにという意味になるでしょう。
 
 そして、主に「仕える(アーバド=serve)」ことは、主を「礼拝(アボーダー=service)」することです。その礼拝の基調は、「喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ」と言われるように、厳粛さ、荘厳さよりも、喜びであることが示されます。
 
 ヘブライ語で主人に仕える僕を「エベド」といいます。かつてイスラエルの民はエジプトで、奴隷としてファラオにこき使われていました(出エジプト記1章11節以下)。そこから解放され、主なる神に仕える者となったのです(同3章12節、12章31節)。
 
 しかし、イスラエルの民はその喜びを忘れて他の神々に仕え、主の怒りを買って国を滅ぼす結果となりました(列王記下17章、24章20節以下)。詩人はここに、人に仕えるのではなく、他の神々に仕えるのでもなく、喜びをもって主なる神に仕えようと歌うのです。
 
 そして、「知れ、主こそ神であると」(3節)と歌います。かつてイスラエルは、エジプトから導き出された主が神であることを学びました(出エジプト記19章3節以下、20章2節)。全地の民が主が神であると知るのは、主が「わたしたちを造られた」お方だからです(創世記1章26節以下)。
 
 私たちも、神の恵みによってキリストが神の御子であられること、私たちの贖いのため、十字架で死なれたこと、三日目に甦られたこと、そして今も生きておられることが信じられるようになりました。
 
 その信仰によって私たちは神の子とされました。永遠に神と共に住み、神との交わりに入ることが許されたのです(ヨハネ福音書1章12節、17章11,21節以下、第一コリント書15章3節、ガラテヤ書3章26節、コロサイ書1章14節、ガラテヤ書3章26節など)。
 
 「わたしを見た者は、父を見たのだ」(ヨハネ福音書14章9節)と言われています。主イエスの御顔に輝く神の栄光をさらに深く悟るために日々主の御言葉に耳を傾け、羊飼いの声に聴き従う羊のように、先立って歩まれる主の御足跡に、賛美しながら喜んで従って参りましょう。
 
 主よ、御子キリストの贖いにより、神の家に共に住まう恵みと特権に与らせていただきました。感謝の歌を歌って主の門に進み、賛美の歌を歌って主の庭に入ります。御口から出る一つ一つの言葉で養われ、喜んで主に仕える者とならせてください。 アーメン