「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。」 ヨハネの黙示録6章10節

 小羊が封印を開き始めます。最初の封印が開かれると(1節)、白い馬が現れました(2節)。騎手は弓を持ち、冠が与えられて勝利の上に勝利を得ようと出て行きます(2節)。

 二番目の封印が開かれると(3節)、赤い馬が現れました(4節)。騎手には地上から平和を奪い取って殺し合いをさせる力、大きな剣が与えられます(4節)。

 三番目の封印が開かれると黒い馬が現れ、騎手は手に測りを持っています(5節)。すると、「小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな」(6節)という声がありました。

 小麦一コイニクスは約1.1リットルで、大人一人が一日で食する量と言われ、それが一デナリオンとは、かなり高価になっていることを意味します。飢饉や戦乱などによって収穫量が落ち込み、穀物の値段が高騰しているわけです。

 四番目の封印が開かれると(7節)、青白い馬が現れました(8節)。その騎手の名は「死」といい、陰府を従えていました(8節)。死と陰府には、「地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威」(8節)が与えられます。

 剣や飢饉、疫病による裁きは、エレミヤ書14章11節、エゼキエル書5章12節、14章13節、33章27節などにも預言されています。また、主イエスも終末の徴として、戦争、地震、飢饉、信者の迫害などが起こると教えられました(マルコ福音書13章7節以下など)。

 最初の、白馬の騎手に冠が与えられて勝利の上に勝利を得ようと出て行ったという出来事は、続く三頭の騎手たちが殺し合いや飢餓などの災いをもたらすために現れたというのと、趣を異にしています。白馬の騎手について様々な解釈がなされていますが、佐竹明先生が、忠実な信徒たちの象徴と見る解釈を提案しておられます。

 信徒たちの勝利とは、艱難の中にあっても最後まで信仰を忠実に守ることによって実現します(2章10節)。忠実な信徒たちの中に既に勝利を味わった者がいます(同13節、6章9~11節)。そして、更にその数が増し加えられ、満たされることが待ち望まれます(11節)。それで、「勝利の上に勝利を得ようと」(2節)と言われていると考えるのです。

 ここに、終末を来たらせる神の御業が始まったわけです。そのとき、信徒たちは塗炭の苦しみをなめていました。信仰のゆえに殉教した人々の魂が祭壇の下から叫んだというのが、冒頭の言葉(10節)です。これは、彼らの魂が陰府に捨て置かれず、神の御前にあることを表しています。

 彼らには「白い衣が与えられ」(11節)ました。3章5節に「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる」とあります。彼らは殺されるという苦しみを受けても、忠実に信仰の証しを立てたのです。だから、白い衣が与えられたわけです。

 既に勝利を得た者たちが「いつまで裁きを行われないのですか」と叫んだというのは、今もなお戦いの内にあり、自分たちと同じように殺されようとしている信徒たちために、執り成して叫び祈っているわけです。

 これは、迫害され殺されることは、敗北ではなく勝利だということを味わった人々の祈りです。ということは、主イエスの祈りであるとも言えるでしょう。勝利であるから苦しんでもよいなどとお考えになっているのではないのです。それを自分の苦しみとして受け止めながら、いつまでですかと、神の御心を尋ねられたのです。

 それに対する答えは、「殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なおしばらく静かに待つように」(11節)というものでした。その苦痛は永遠のものではないこと、もうすぐ終わるということです。

 試練の内に、苦しみの中にいる人々にとって、この答えは満足出来るものではないでしょう。納得のいく答えであるとは思われません。しかし、この答えにおいて最も苦しんでおられるのが、神ご自身であると思います。ご自分を信じる者が苦しんでいるのです。殺されているのです。

 なぜ、神は待っておられるのでしょうか。なぜ、すぐに裁きを始められないのでしょうか。御国の福音が全世界に宣べ伝えられるのを待っておられるのです(マタイ福音書24章14節)。神はすべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられるわけです(第一テモテ書2章4節)。

 この神の憐れみにより、迫害者であったパウロが伝道者に変えられました。そのパウロも迫害を受け、殉教しました。パウロは、「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます」(第二コリント書4章17節)と語り、艱難を恐れないで絶えず主を仰ぎ、信仰に生きよう教えています。

 同じく神の恵みに与った者として、主を信じ、主の御言葉に従って歩ませていただきましょう。

 主よ、どうか今苦しみの中にいる方を慰め、励ましてください。私たちが互いに愛し合い、主のご愛を証しすることが出来ますように。あなたから頂いた恵みがいかなるものであるか、いつも思い起こし、救われた原点をしっかりと見つめ、主の御声に従って前進させてください。主の御名が崇められますように。 アーメン