「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」 ヨハネの黙示録3章20節

 14節以下は、「アジア州にある七つの教会」(1章4節)の7番目、「ラオディキアにある教会」(14節)に宛てて書き送られた手紙です。

 ラオディキアは小アジア西部,フリギア地方の主要都市の一つで、フィラデルフィアの南東70㎞、エフェソ東150㎞に位置する、メアンデル川の支流リュコス川に面した町です。リュコス流域には、コロサイ(東約15㎞)とヒエラポリス(北約10㎞)があります。

 紀元前3世紀半ばにアンティオコス2世セオスが、それまでディオスポリスまたはロアスと呼ばれていた町をヘレニズム文化の中心都市として整備し直し、自分の妻のラオディケにちなんでラオディキアと改めました。「ラオディキア」とは、「ラオス」(民)と「ディケー」(正義)を合わせた「国民の正義」といった意味になります。

 ヨセフスによれば、アンティオコス3世が多くのユダヤ人をフリギア、リディア地方に移住させました。ラオディキアの町にもかなりのユダヤ人が住むようになったと考えられます。紀元前1世紀には、この地方のユダヤ人は宗教の自由が保障され、エルサレムへ献金を送ることも許されていたようです。

 一時ペルガモン王国の支配下に移りましたが、紀元前133年以降ローマの支配下に入り、エフェソからシリアへ至る通商路に沿っていたこともあって、商業都市として発展しました。また、ラオディキアは金融都市としても知られ、その経済力は、紀元前60年の大地震で町が崩壊した時、他の町のように皇帝の援助を受けず、市民だけの富で復興したほど豊かでした(17節参照)。

 黒羊毛と毛織物の産地としても有名であり(18節参照)、また、郊外のアットゥダの町で生産されていた「フリギアの粉末」と呼ばれる目薬でもよく知られていました(18節参照)。

 ラオディキアの教会のことについては、コロサイ書2章1節、4章12~16節に既に言及されています。それによれば、コロサイ教会と同様、エパフラスという人物の特別な関心の対象となっています。同1章7節によれば、エパフラスがコロサイ教会の創設者であることが分かります。とすれば、ラオディキアも、エパフラスによって創立された可能性が小さくないでしょう。

 パウロがラオディキアの教会に手紙を書いていますが(同4章16節)、それが現在のエフェソの信徒への手紙のことであると考える学者もいます。ただ、黙示録のエフェソにある教会が、パウロによらず、ヨハネの指導によって立てられたと考えられるように、ラオディキアにもパウロやエパフラスたちの働きによらない、ヨハネによる教会があったとあったと考えてよいでしょう。

 ラオディキアには4世紀までフリギアの司教座がおかれていましたが、中世に入ってイスラムとの戦いで破壊されました。現在のエスキ・ピッサルという小村(トルコのデニズリの西)がラオディキアに当ると考えられています。

 7つの教会に宛てて記された手紙には、語り手を紹介する言葉に続いてそれぞれの教会を賞賛する言葉が添えられていますが、ラオディキアだけは例外で、「わたしはあなたを知っている。あなたは冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであって欲しい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている」(15,16節)と言われます。

 ラオディキアの信徒の信仰の「なまぬるさ」に失望したという表現です。そのなまぬるさは、「自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない」(17節)と言われるほどです。生活の上で不足がないことに満足して、霊的なこと、信仰のことが全く分かっていないというのです。

 冒頭の言葉(20節)は、キリスト教会の集会などでは、まだ信仰の道に入っていない方々に、主イエスを信じましょう、主イエスとの親しい交わりに入りましょうと勧める言葉として、よく読まれます。しかし、この言葉は、ラオディキアにある教会の信徒たちに向かって語られているのです。これは、どういうことなのでしょう。

 「戸を叩く」のは、受け入れることを求める意思表示ですが、ここでは、キリストが再臨される合図のことでしょう。「食事を共にする」とは、最も親密な交わりの表現です。キリストが、その声を聞いて従う者たちと食事を共にするという約束が与えられるということは、やがて来るべき栄光の座に、キリストと共に座に就くことが出来るという約束にほかなりません。

 ここで重要なことは、再臨されるキリストの声を聞き分けて戸を開くことが出来るよう、常日頃から備えておくことです。言い換えれば、忠実な信仰生活を守り続けることが重要だと言われているのです。となれば、「戸を開く」というのは、再臨されたキリストを迎え入れる行為ですが、再臨を待ち望みながら忠実な信仰生活を送ることを、そう表現しているということでしょう。

 その備えとして、「火で精錬された金」、「身に着ける白い衣」、「目に塗る薬」をキリストから買うようにと勧告されています(18節)。これは、17節に挙げられたラオディキアの人々の問題を、神によって解決するためのものです。

 神から離れてどっちつかずの生ぬるさの中にいては、自分の姿をはっきりと知ることが出来なくなります。自己満足と怠惰の中に眠り込んでしまいます。だから「熱心に努めよ。悔い改めよ」(19節)と言われるのです。

 再臨される主を待望することを忘れ、戸を叩いておられる主の御声が分からず、扉を開き損なった者は、やがて天の扉が閉ざされるとき、締め出される者となってしまいます。絶えず目覚めて主の御声を聴き、悔い改めて主の御言葉に聴き従いましょう。主との親しい交わりのうちに、主の祝福が注がれてきます。主に栄光を帰し、御名を高らかに賛美しましょう。

 主よ、あなたの深い恵みと憐れみを心から感謝します。戸を叩かれる主の御声を聞き逃すことがないよう、日々あなたの御言葉に耳を傾けます。聖霊の導きのもと、御言葉の恵みを味わいます。そして、祈りと賛美をささげます。弱い者ですが、主を知る者とされたことを喜び、その恵みを証しし続ける者とならせてください。 アーメン