「この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」 ヘブライ人への手紙1章2,3節

 この手紙は、かつてはパウロによって書かれたものと考えられました。それは、13章23節の「わたしたちの兄弟テモテ」という句から連想されたものです。しかし、手紙の通常の形式である冒頭の差出人の名前や宛名、あて先への挨拶や感謝の言葉などがありません。

 その他、用語法や旧約聖書の解釈の仕方などでパウロとの違いが目立ち、最近の学者でこれをパウロの書いたものと考える人はほとんどいないようです。因みに、宗教改革者ルターは、アポロが著者であると言っています。

 表題の「ヘブライ人」について、この手紙がギリシア語で記されており、旧約聖書を引用するときもギリシア語訳旧約聖書(七十人訳)を用いていることから、パレスティナのユダヤ人ではなく、世界に散らされたディアスポラ(離散)のユダヤ人のことでしょう。

 手紙の宛先について、13章24節の言葉からローマであろうと考えられています。とそうれば、受取手はディアスポラのユダヤ人ばかりでなく、異邦人も少なからず含まれているローマの教会のキリスト者たちということになりそうです。執筆時期は、紀元80年代であろうと想定されています。

 この手紙は、旧約聖書を用いながら、イエス・キリストが神によって立てられた大祭司だということを論証しようとしています。その性格は、神学的論文というより勧告ないし説教というべきものです。また、その構成は、例えばパウロ書簡では前半が教理的な叙述、後半が実践的な勧告となっているのに対し、本書では教理的叙述と実践ないし勧告の言葉が交互に現れています。

 1章は、4節までと5節以下の二つの段落に分けられます。文章の構成から、そのように分けられていますが、内容的には、4節の「御子は、天使たちより優れた者となられました」という言葉を、それ以下の文章で証明する形になっていて、3節までと4節以下に分けるというのもありそうです。

 新共同訳聖書は最初の段落に、「神は御子によって語られた」という小見出しをつけています。神は、御子イエスをお遣わしになる以前、神は様々な方法で「先祖」に語られました(1節)。「先祖」とは、父祖アブラハムに始まる旧約のイスラエルの民のことです。最もよく用いられたのが「預言者たちによって」語るという方法です。

 そして、最後の手段として選ばれたのが、冒頭の言葉(2節)の「御子によって」語るという方法です。2~4節には、「御子」とはどういう方なのかということが列挙されています。

 まず、「御子は万物の相続者」(2節)、「御子によって世界を創造された」(2節)と言われます。この世にお生まれになる前、主イエスは創造者であられ、復活後40日して天に昇られた後、その一切を相続されたということです。3節の「天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました」という言葉も同じ理解を示しています。

 主イエスは神の御子なのですから、当然のことながら、神が所有しておられるすべてのものの相続者であられます。また、御子が創造者であるという信仰は、ヨハネ福音書1章3節、第一コリント書8章6節、コロサイ書1章16節などにも見られます。すべてのものを創られたお方として、それを所有されることになるというわけです。

 次に、「神の栄光の反映」(3節)、「神の本質の完全な現れ」(3節)と言われます。「反映」は「輝き」(口語訳)とも訳されます。神が光であられ、その光が御子を通して伝えられ、輝き出るということです。これは、御子に神の栄光があるということです。反映は、光源なしに存在し得ません。ここに、父と御子の密接な関係が示されます。

 「神の本質の完全な現れ」とは、まことの神が人間となってこの世に来られたということです。御子がまことの神であるということを、「万物を御自分の力ある言葉によって支えておられる」(3節)と説明します。これは、神に創造された世界が、主イエスの御言葉によって支えられていること(コロサイ書1章17節参照)、つまり、創造の業が御子の働きで継続していることを示しています。

 御言葉の力は、その真実さにあります。神の御言葉は必ず実現するのです(ルカ福音書1章45節)。特に、神の真実は、御子キリストによる贖いを通して示されました。御子がこの世に来られたのは、「人々の罪を清める」(3節)ためでした。その御業によって、私たちは今生かされ、支えられているのです。

 キリストは死んで葬られた後、三日目に復活された後(第一コリント書15章3,4節)、天に上げられ(ルカ福音書24章51節)、神の右の座に着かれ、私たちのために執り成しておられます(8章1節、ローマ書8章34節)。「天使たちより優れた者となられ」(4節)たことが、人間となられた御子キリストが、再び神の右に着座されたことによって証明されたのです。

 ここに、イエス・キリストは、まことの神、主の主であられることを、あらためて確認させていただきました。神は今も、御子キリストを通して、私たちに語りかけておられます。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ福音書1章15節)と言われた主イエスの御言葉に耳を傾け、その真実に触れ、素直にその導きに従いましょう。

 主よ、すべての人々の罪を贖い、救いの道を開いてくださったことを心から感謝致します。御言葉の力をもって万物を支えておられる御子キリストが、完全な救いを成就するために再びおいでになるのを、待ち望んでいます。主イエスの福音に相応しく、日々歩ませてください。御名が崇められますように。 アーメン