「わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか。」 テサロニケの信徒への手紙一3章9節

 迫害のゆえにテサロニケを去ったパウロは(使徒言行録17章5節以下、10節)、後に残した教会が心配で、若い伝道者のテモテを派遣しました。使徒言行録では、パウロはシラスとテモテをベレアに残したことになっていますが(同14節)、テモテはそのとき、パウロの命を受けてテサロニケに戻ったのでしょう。

 それは、「あなたがた(テサロニケの信徒たち)を励まして、信仰を強め、このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするため」(1節)です。テサロニケからコリントまで、当時の交通事情で数週間かかったということですから、往復の時間、そしてテサロニケ滞在期間を考えると、旅は2ヶ月以上になったでしょう。

 当初、パウロはアテネで二人が戻って来るのを待っていましたが(使徒言行録17章16節)、二人が戻って来たのは、パウロがアテネを去ってコリントで伝道を始めてからでした(同18章5節)。だから、パウロは鶴のように、キリンのように首を長くして、テモテたちが戻って来るのを待っていたことでしょう。迫害下のテサロニケ教会の様子を早く知りたかったからです。

 そうした事情がここに記されていることを、少々意地悪な注解者は、テモテの働きはあまりうまくいかなかったんじゃないかと言います。この手紙は、テモテがもたらしたニュースを聞いて喜んだパウロが、さらに教会を励ますために書いたものです。テモテが派遣された理由が、わざわざここに書かれる必要はないでしょう。それが書かれているのは、不首尾だったからだというわけです。

 確かに、人の苦労を慰め、励ますというのは、若者にとって易しいことではないかも知れません。お前に何が分かると言われると、口を閉ざさざるを得ません。神様の慰めがありますようにと語り、祈るというのが精一杯です。それは年をとってもそうですが、苦労を経験している分、同情が出来るというか共感が出来るというものですね。

 パウロがテモテを「わたしの兄弟、キリストのために働く神の協力者」とあらためて紹介しながら、苦難に遭っても誰一人動揺することのないように、彼を派遣したんだと執り成しつつ語っています。

 3節に「わたしたちが苦難を受けるように定められている」という言葉があります。パウロはなぜこのように語っているのでしょうか。クリスチャンは苦しむことになっているという一般論的な表現でしょうか。確かに、主イエスが苦しまれたから、弟子も苦しみを受けるということはあります。しかし、それ以上のことがあると思います。

 パウロは主イエスに、苦しみの伴う使命を受けました。使徒言行録9章16節に「わたし(イエス)の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼(パウロ)に示そう」とあります。パウロが使徒として選ばれたときの、主がパウロへの使者として遣わすアナニアに語った言葉です。パウロが使徒として指名されたとき、それゆえに苦しむことも受け入れたわけです。

 しかし、パウロは受ける苦しみをじっと我慢しているというわけではありません。そこには深い喜びがあります。その苦しみが主イエスの十字架とつながっていると感じられること、そして、その苦しみを通って復活の恵みに直結されていると信じられることです。

 神は確かに、万事を益としてくださいます(ローマ書8章28節)。ゆえにパウロは、苦難をも誇りとすると語ることが出来ました(同5章3節)。

 主イエスも山上の説教(マタイ福音書5~7章)の冒頭で、「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」(同5章11,12節)という祝福を語ってくださいました。

 やがて、テモテが戻って来て、嬉しい知らせを伝えました(6節)。それは、彼らが信仰に立ち、しっかりと主に結ばれていたからです(7,8節)。パウロはそのとき、アテネからコリントに伝道の場所を移していました。

 パウロがコリントで伝道を始めたとき、「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」(第一コリント書2章3節)。なぜそんな状態になっているのか、具体的な理由は分かりませんが、一つには、テサロニケに遣わしたテモテや、ベレアに残してきたシラスのことが気になっていたのでしょう。そしてまた、コリントの伝道がなかなか困難であったのではないかとも想像されます。

 しかし、シラスとテモテがマケドニア州から到着すると、「パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証し」(使徒言行録18章5節)しました。それは、テモテによってもたらされた「うれしい知らせ」(原文では「福音を告げ知らせる」という言葉が用いられています)がパウロを大いに喜ばせ、励ましたからです。

 アラビアのことわざに、「日光ばかりは砂漠を作る」という言葉があるそうです。私たちは皆、太陽の光を喜びます。晴れていることをよい天気と言い、雨が降ることを天気が悪いという言い方をします。しかし、雨が降らなければ、生命を育むことが出来ません。

 困難が身に及ぶことを好む人はいないでしょう。しかし、私たちの人格、品性は、困難によって練り鍛えられます。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマ書5章3,4節)と言われるとおりです。それは、困難にあうとき、人は謙遜にされ、忍耐を学ぶからです。そして、神に助けを求め、傍近くに共におられる主イエスを見出し、御手の業に与るからです。

 パウロはこのとき、自分自身よりもむしろ、テサロニケの信徒たちの困難な状況に心痛めていたのでしょうけれども、彼らの信仰によってかえって励まされるという恵みを味わいました(7節)。彼らに信仰を与えたのは自分だという自負心がなかったとは思いませんが、しかし、彼らが信仰に堅く立っているのは、神の恵みであることを、誰よりもパウロ自身が知っていることです。

 それがどれほどの喜びであったかが、冒頭の言葉(9節)に窺えます。「感謝」(エウカリスティア)は、「恵み」(カリス)に対する応答に他なりません。「ささげる」の原語は「アンタポディドーミ」で、これは、「アンティ」と「アポ」「ディドーミ」の合成語です。

 「アポ」は「~から」という前置詞、「ディドーミ」が「与える」という動詞で、この二つが組み合わさると、「返す、支払う」という意味になります。そして、「アンティ」は「~の代わりに」という前置詞です。合わせると、「代わりに返す、返礼する」という意味になります。恵みを与えられた者として、喜びあふれて感謝の返礼をせずにはおれないということです。

 パウロはテモテの報告を受けて、コリントの伝道に専念し、キリストを力強く証ししました(使徒言行録18章5節)。そこにも神の恵みが働いていることを、あらためて知らされたからでしょう。そして、そうすることこそ、恵みを無駄にしないというパウロの(第一コリント書15章10節)、神への感謝の返礼ということなのです。

 私たちも主の恵みに与っている者として、主イエスを通して賛美のいけにえ、即ち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう(ヘブライ書13章15節)。それを神がお喜びになるからです(同16節)。

 主よ、どうか私たちをお互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ちあふれさせてくださいますように。そして、私たちの主イエスが御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、私たちの心を強め、私たちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように。 アーメン