「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」 コリントの信徒への手紙二3章18節

  新共同訳は、3章に「新しい契約の奉仕者」という小見出しをつけています。そのことについて、6節に「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました」といいます。この言葉で、新しい契約は霊、そして明確に述べられてはいませんが、古い契約は文字に仕える務めであるとほのめかしています。

 パウロはローマ書7章6節でも、「わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、立法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです」と記しています。

 そして、「文字は殺しますが、霊は生かします」と言います。「文字」は、古い契約の記された「契約の書」(出エジプト記24章7節)を示しています。律法は法を遵守する力を与えてはくれないので、律法の下にある者はその裁きを免れません。そのことをパウロはガラテヤ書3章10節でも、申命記27章26節を引用しながら語っています。

 それに対して「霊は生かす」というのは、主イエスの「命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」(ヨハネ6章63節)と仰った言葉を思い起こします。

 7節以下、モーセの顔の輝きと覆いが話題となります。これは、出エジプト記34章29節以下に記されている出来事です。それによれば、モーセがシナイ山で神と語っている間に、彼の顔が神の栄光を映して光を放っていました。それでモーセは神と語るとき以外は顔に覆いをかけたというのです。

 そのように、旧約の律法に仕える務めでも神の栄光を表すのなら、霊に仕える務め、新約の福音に仕える務めはなおさら栄光に満ち溢れているのだと説明します(8節)。

 このような説明が語られている背景として、ユダヤ教の影響を受けている者がコリントにやってきたか、あるいは教会にユダヤ人キリスト者がいて、神の祝福を得るために、律法を守るべきだと主張していることが考えられます。

 ただ、パウロがここでモーセの顔の輝きと覆いについて説明しているのは、旧約聖書の物語のとおりではありません。彼独特の解釈が施されています。まず、顔の覆いについて、輝きが消え去るのを見られまいとして覆いをかけたと言います(13節)。

 そして、14節で「今日に至るまで、古い契約が読まれる際に、この覆いは除かれずに掛かったままなのです」というのは、旧約聖書を読み、律法に仕えているとき、そこに主イエスのことが記されていることが分からなかったという、パウロ自身の経験に基づいています。そして、今もキリスト教徒に対する迫害が続いていることが、その明確な証拠だというわけです。

 それに対して、霊によって新しい契約に仕える者は、顔に覆いをかけません(13節)。むしろ、キリストに向き直ることよって覆いが取り去られる(16節)と言います。これも、パウロの体験です。復活の主に出会ったとき、彼の目からうろこのようなものが落ち、はっきり見えるようになりました(使徒言行録9章18節)。それによって、キリストの伝道者、使徒と変えられたのです。

  同様に、コリントの信徒たちは、既に神の栄光を見る者とされているのです。キリストに心を向けるとき、栄光を拝することが出来ます。パウロは、十字架を負って歩まれる主の姿に、信仰によって、神の栄光をはっきりと見出すことが出来たのです。

 私たちも、キリストを信じたとき、心の覆いが取り除かれました。信仰によって主イエスの御顔を仰ぐ者となりました。勿論、主は霊ですから(17節)、肉眼で捉えることはできません。しかし、私たちは信仰によって、主イエスと顔と顔を合わせて語り合っています。御言葉に耳を傾け、思い巡らし、何度も口ずさみ、そして祈りをささげるのは、まことに素晴らしい神との交わりのひとときです。

 夫婦は似てくると言います。また、ペットも飼い主に似ると言います。そんな言い方は不遜かもしれませんが、いつも主を仰ぎ、その御言葉を聴き、交わりに生きる者は、主と似た者に変えられます。自分で変わる努力をするのではありません。努力すれば出来るというものでもありません。主の霊の働きで、主と同じ姿に造りかえられるというのです(18節)。

 毎日少しずつ、段々にということでもないかもしれません。霊の働きは目に見えないからです。しかし、終わりの時、それは完成されます(第一コリント書15章49節、フィリピ書3章21節)。日々主を仰ぎ、御言葉を慕い求めて参りましょう。

 主よ、あなたは私たちに御言葉を通し、聖霊によって、主と親しく交わる恵みをお与えくださいました。主が常に共におられ、私たちを守り導いてくださること、そして、天に召される希望に生かしていてくださることを、感謝します。絶えず主を仰ぎます。御言葉通り、霊の働きによって栄光から栄光へと主と同じ姿に造り変えてください。 アーメン