「都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。」 使徒言行録7章58節

 エルサレム教会が選任した7人の執事の一人ステファノは、恵みと力に満ち、素晴らしい業を行っていました(6章8節)。彼に議論を吹っかける者もいましたが、知恵と霊によって語るステファノに太刀打ちできませんでした(同10節)。そこで、偽証人を立てて最高法院に訴え出ました(同12,13節)。

 弁明をするように促されたステファノは、旧約聖書を用いて長い説教を行います(7章1節以下)。使徒言行録に記された最長の説教です。それは、自分の立場をよくしようというものではありません。むしろ、ユダヤの人々がいかに神に背いているかと、その罪を糾弾する内容になっています。それに憤ったユダヤ人たちは、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、石を投げ始めます(54,57,58節)。

 ステファノは、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言い、それから、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んで、息を引き取りました(59,60節)。この最期は、主イエスの十字架での最期を髣髴とさせるものでした(ルカ福音書23章34,46節)。

 ステファノが、自分を殺す者を赦し、その罪を彼らに負わせないでくださいと祈ることが出来たのは、確かに、彼のために立ち上がって応援してくださった主イエスの励ましと慰めのゆえではないでしょうか。そしてまた、私たちが互いに愛し合い、赦し合って生きるようにと、その模範が示されているようにも思います。

 ステファノ殉教後、エルサレムの教会に対して大迫害が起こりました(8章1節)。それも、ステファノの説教に端を発して、キリスト教をこのままのさばらしているのは、ユダヤ教にとってよいことではないという判断がなされた結果ではないかと思われます。

 その大迫害で一翼を担い、大活躍したのが、ステファノの殺害に賛成し、冒頭の言葉(58節)のとおり、彼を処刑する証人たちの上着を預かっていたサウロという若者でした。このサウロが、後に初代キリスト教最大の伝道者となります。クリスチャンになったばかりのころはサウロと呼ばれていましたが、後にローマ名のパウロを名乗るようになります。

 サウロは、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人という自負を持っていました(フィリピ書3章5節)。ベニヤミンは、ヤコブの12人の息子のうち、ただ一人イスラエル生まれでした。そして、イスラエルの初代の王はベニヤミン族から選ばれました。その名はサウルです(サムエル記上9章参照)。サウロは、明らかにサウルに因んで名づけられたものです。

 また、彼はキリキア州タルソスの出身ですが(使徒21章39節)、そこはローマ帝国の直轄地であったため、生まれながらローマの市民権が与えられていました。それで、パウロというローマ名も持っていたわけです。

 彼が家系や学歴などを重んじる立場であれば、ユダヤ名のサウロを名乗るのが当然と考えられます。しかし、自らサウロと名乗ったことはありません。むしろ、パウロ(「小さい」という意)と名乗ることに意味を見出していたわけです。ここに、キリストを信じて180度変えられたパウロの信仰を見ることが出来るように思います。

 しかし、なぜステファノを殺すことに賛成していた迫害者サウロが、主イエスを信じる者に変えられたのでしょうか。神のなされた憐れみの御業というほかありませんが、しかし、それこそ、ステファノが「この罪を彼らに負わせないでください」と執り成し祈ったからではありませんか。ステファノにかく祈らしめた主の御名を崇めます。

 自分に仇なす者を前にして、ステファノのように祈れるかと問われて、いつでも「はい」と答えることができる者ではありませんが、 「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(ルカ9章23節)と招かれた主の御言葉に立ち、憐れみの源なる主に導きを祈りましょう。
 
 主よ、あなたはステファノが殉教したとき、彼に石を投げつける者の上着を預かり、その殺害に参与していたサウロを、主イエスの証人としてお選びになりました。それはあなたの深い憐れみによることでした。そして、その憐れみが私たちにも向けられ、私たちも主を知る者、信じる者として頂くことが出来ました。ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。栄光が神に永遠にありますように。 アーメン