「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。」 使徒言行録6章7節

 6章には、「ステファノたち7人の選出」(1~7節)と「ステファノの逮捕」(8~15節)が記されています。

 まず、「7人の選出」が必要になった理由が説明されます。それは、「弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た」(1節)というのです。

 弟子の数が増えたのは、弟子たちが聖霊の力を受けて大胆に伝道を進めた結果であり、また、信者たちが一つになって、すべての者を共有にするほどの愛の交わりに好感を持たれていたからあり(2章44節以下など)、それらすべてが神の豊かな恵みによるものでした。しかし、それが問題を生むことになりました。

 ギリシア語を話すユダヤ人というのは、外国に住んでいたユダヤ人でイスラエルに帰って来たか、時折エルサレムにやって来て居住している人々です。対して、ヘブライ語を話すユダヤ人とは、生まれながらイスラエルにいるユダヤ人ということでしょう。

 その二つのグループの人々が、主イエスを信じるキリスト者として共に集っていたわけです。そこには、上述のとおり、すべてのものを共有にするという麗しい愛の関係が存在していました。けれども、信徒の数が増えるに連れ、この二つのグループの間に問題が生じたというのです。その問題は、ギリシア語を話すユダヤ人のやもめたちが、日々の分配でヘブライ語を話す人々から差別されているということでした(2節)。

 ユダヤの社会では、やもめは特別な配慮を受けてきました。その配慮がエルサレム教会でも実践されていました。それをヘブライ語を話さないやもめたちにも同じように枠を拡げるべきだとは、当初考えられていなかったわけです。

 苦情を受けた12人の使徒たちは、信徒をすべて集めて総会を開きました。そして、食事の世話をする者たちを7人選んで欲しい、と提案しました(3節)。2節の「(食卓の)世話をする」は、ギリシア語で「ディアコネオー」と言います。その名詞形が4節の「奉仕、ディアコニア」という言葉です。さらに「奉仕する者、召使い」という意味の「ディアコノス」という言葉があります。ここから「deacon、執事」という言葉が生まれました。

 現在、わが静岡教会にも執事が選任されていますが、それは、この記事に根拠を置いています。つまり、この「7人」が現在の執事制度の原型プロトタイプと考えられているわけです。

 そこで、この「7人」が選び出された基準を見てみましょう。それは、「霊と知恵に満ちた評判の良い人を選びなさい」というものでした(3節)。「評判の良い人」とは、差別なく公平な仕事が出来るということでしょう。「霊と知恵に満ちた」というのも、その仕事が公正に行われるために、適切な方策を立てることが出来るということでしょう。「霊」が加えられているのは、事務的な能力だけでなく、信仰的な配慮が出来ることを重んじているからです。

 それによって選ばれた「7人」の名前が5節に記されていますが、これはいずれもギリシア名であることから、ギリシア語を話すユダヤ人の中から選び出されたのではないかと想像されます。まるで、「12人」の使徒がヘブライ語を話すユダヤ人であるので、それとバランスをとるかのような人選になっています。

 この後、選出された「7人」が日々の分配についてどのような仕事をしたのか、何も記されていません。しかし、同じような問題が他に起きてきていないことを見れば、12人の使徒たちと7人の執事たちの働きは、非常に良いバランスをもって問題を解決することが出来たと言えます。

 この後のステファノやフィリポの活躍を見ると、使徒と執事の働きがはっきりと区別されているということでもないようです。そこに、聖霊の導きに従う自由さがあると思います。

 こうして、「12人」の使徒の権威に基づいて「7人」の執事が選任されたことにより、教会の基礎が固まり、より強く一致することが出来、そこに聖霊の満たしと導きがあったので、神の言葉がますます力強く宣べ伝えられ、それによって弟子の数がますます増え、その結果、ユダヤ教の祭司たちも大勢信仰に導かれました(7節)。

 祭司たちというのは、以前、主イエスを十字架につけた側の指導者たちです。しかし今、彼らも聖霊の導きによって主イエスを信じる者と変えられたのです。ここに神の深い憐れみがあります。そして、すべての人にこの神の憐れみは注がれているのです。

 問題が起こることは問題ではありません。それは、人間社会において、当然のように起こることです。問題にどのように対処するのかが、まさに問題なのです。主なる神はその問題の中にお働きくださって、そのことも教会にとってプラスにしてくださいました。

 万事を益としてくださる主に信頼し、問題を主の御前に持ち出しましょう。解決をお与えくださる主に問題を委ねましょう。その際、私たちは何をすべきなのか、どこに立ち、何をどのように語ればよいのか、主の御心を尋ね、導きを待ち望みましょう。 

 主よ、エルサレム教会は、教会内に生じた問題に対して、霊と知恵に満ちた評判の良い者を7人選んだ結果、神の言葉がますます広められ、信徒の数が増えるという結果を生じました。問題が教会を前進させ、拡大させました。そこに聖霊の導きがありました。私たちも、祈りによって問題をあなたの御前に持ち出し、聖霊の導きに与らせて頂きたいと願います。御名が崇められますように。 アーメン