「十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。」 ルカによる福音書9章6節

 9章1節から50節まで、マルコの資料に従って編集されています。1節以下、「12人を派遣する」という見出しのつけられた段落で、主イエスは、使徒としてお選びになった十二人を、御もとに呼び集められ(1節、6章13節)、彼らに悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能を授け(1節)、神の国の福音を宣べ伝え、病人をいやすために派遣されます(2節)。

 マタイ、マルコには、「神の国を宣べ伝え」(2節)という言葉はありません。ルカの、福音宣教への思いが強く表れているところでしょう。12人は主イエスの代理人として、「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ」(4章43節)と仰っておられた主イエスの宣教を、その言葉と業において共に担うために遣わされるのです。

 福音書の記事によれば、使徒たちは主イエスの御心を本当に弁えていたとは言えません。むしろ、理解出来ずに叱られていました(マルコ福音書4章13節、40,41節、6章51,52節、8章17節など)。そもそも、主イエスが彼らを選ばれたのは、弟子として素質があり、相応しい教養などを身につけているからというのではありません。

 また、彼らを一からみっちり仕込み、使徒としてどこに出しても恥ずかしくないよう十分に鍛えてから、派遣するということでもありません。彼らは未熟なまま、欠点だらけ、弱点だらけのまま遣わされます。

 そこに、福音宣教の緊急性といいますか、重大さが示されているように思われます。私たちの側の条件が整っているから伝道するというのではなく、伝道する必要があるから、神の国の福音が宣べ伝えられるのを待っている人々がいるから、伝道するのです。

 また、伝道は自分の知識や経験、力によってするものではなく、主の導きと助けをいただいて行うものなのです。そのことを実地で学ばせるために、「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持って行ってはならない。下着も二枚は持ってはならない」(3節)と言われています。全く軽装で遣わされました。

 そのとき、彼らが頼ることの出来たものはただ一つ、彼らに授けられた主イエスの力と権能だけでした(1節)。彼らはその力と権能を携えて、出かけて行きました。知恵も力も経験も、全く不十分であることは、承知の上です。どれほどのことも出来ないかも知れません。それでも、ただ主イエスの力に依り頼み、主イエスから託された神の国の福音を宣べ伝えたのです。

 すると、主の力が彼らと共に働いて、福音を告げ知らせることができ、また、病気が癒されるという成果をもたらしました。主イエスの御言葉に従って出て行き、御言葉に従って語り、御言葉に従って病気を癒したのです(6節)。

 それは、十二人がしたことですが、しかし勿論、彼らの力ではありません。神の力です。神の力が、彼らの弱さを通して働いたのです(第二コリント書12章9,10節)。彼らは、全く未熟な主イエスの僕です。欠けた土の器に過ぎません。けれども、その器の中に本物の宝があったのです(同4章7節)。

 パウロがテモテに対して、「わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃え立たせるように勧めます。神はおくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです」(第二テモテ書1章6,7節)と記しています。つまり、テモテが福音宣教に対して、臆病風に吹かれているようなところがあったのではないでしょうか。

 「神の賜物を、再び燃え立たせなさい」ということは、かつて、よく燃えていたように、もう一度燃え上がらせることを求めています。これは、テモテが福音宣教の使命を果たすために、新しい賜物が必要なのではなく、既に与えられている、否、初めから与えられていた神の賜物を、十分に活用するようにと求めているわけです。

 そのうえでパウロは、自分の殉教のときが迫って来ていると告げつつ(第二テモテ書4章6節以下)、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(同4章2節)と命じています。確かに、手紙を書き送ったパウロにとって、「折の悪いとき」かもしれません。しかしながら、それで口をつぐもうというのではなく、むしろ、福音宣教に励もうというのです。

 昔はよく街頭でのビラ配り、提灯などを持って路傍伝道、車にスピーカーを積んで集会の宣伝、塀や電柱にたくさんの看板やポスターを張り出し、道に横断幕を張ったりして、町の人々に集会の案内をしたものです。一週間連続伝道集会ということもありました。でも今はそういう時代じゃない、そういう声を聞きます。

 確かにそうかもしれませんけれども、時代があらたまって、伝道する方法や手段は変わっても、神の国の福音を宣べ伝えよという主のご命令に変更はありません。伝道しようというその情熱、人々に救いを伝えようという熱い思いも変わりません。

 私たちを選んでくださった主イエスの御言葉に従い、家族に、知人友人に、御言葉を伝えましょう。そのために、先ず祈りましょう。上からの知恵を頂きましょう。聖霊の力に与らせて頂きましょう。

 主よ、私たちは欠けた土の器に過ぎません。自分のうちになんら誇るものはありません。しかし、この私たちの中に、私たちを神の宮として、真の宝であられる主イエスがお住いくださっています。主が共におられるという平安と喜びを感じています。私たちにも福音を告げ知らせることが出来ますように、聖霊の力を与えてください。家族、知人友人を救いに導かせてください。 アーメン