「荒れ野で叫ぶ声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」  マルコによる福音書1章3節

 今日からマルコ福音書です。マルコ福音書は、紀元66年頃、シリアあたりで著述されたものだろうと思われます。著者は、伝統的にエルサレム教会の家の提供者マリアの子で、マルコと呼ばれていたヨハネのことだと考えられて来ました(使徒言行録12章12節)。しかし、パレスティナの地理に疎いような面が多々見られることなどから、マルコ=ヨハネが著者であるとは、考え難いところです。

 マルコ福音書は、「神の子イエス・キリストの福音の初め」という言葉で始まります(1節)。ギリシャ語原文では、「初め」(アルケー)という言葉が一番初めに書かれており、これは、「初めに、神は天地を創造された」という創世記の始まり方を意識したのではないかと思われます。

 「神の子イエス・キリストの福音」とは、イエス・キリストについての福音というだけでなく、イエス・キリストによってもたらされた、即ち、主イエスの存在と、あらゆる言辞と行為とによる福音ということです。「神の子」という称号は、3章11節、5章7節で汚れた霊によって用いられ、そして15章39節では、主イエスの死を見届けた百人隊長が信仰を表明するように宣言しています。

 また、「福音」(エウアンゲリオン)とは、「喜びの音信」という意味ですが、中でも、勝利を収めたという喜びの音信を言い表す言葉です。旧約聖書では、「良い知らせを伝える」((メバッセール・トーブ、イザヤ書52章7節、61章1節、40章9節など)という動詞形の言葉でそれを表しています(因みに、70人訳聖書はその箇所に「エウアンゲリゾマイ」という動詞を用いています)。

 まず、旧約聖書の言葉が引用されます(2,3節)。それを、「預言者イザヤの書」と言っていますが、「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう」(2節)は、出エジプト記23章20節、マラキ書3章1節からの引用です。そして、冒頭の言葉(3節)がイザヤ書40章3節からの引用です。

 その引用された言葉のとおりに、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れたと、4節に記されています。ヨハネは、罪の赦しを得させるために悔い改めのバプテスマを宣べ伝えました。その活動は旧約聖書の預言を成就するためであり、ヨハネはメシアなる主の先駆けとして、主の道を整えるために荒れ野に登場したのです。

 勿論、荒れ野に人は住めません。生活を支えるものがなく、むしろ命を脅かす獣などが出現する場所だからです。なぜ、荒れ野なのでしょうか。それは、象徴的な意味があるようです。

 それはまず、生活の場から退き、神の御声に聴きなさいということでしょう。冒頭の「主の道を整え、道筋をまっすぐにせよ」(3節)という言葉は、御言葉を片手間で聴くことは出来ないということを示しているように思います。そのために、ヨハネは人々に悔い改めを迫るのです。悔い改めとは、思いを変えること(change of mind)であり、信仰において神の下に帰るということです。

 また、荒れ野は、神が新しいことを始められる場所です。イザヤ書43章19節に、「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」と言われています。

 かつて、エジプトを脱出したイスラエルの民が、40年過ごしたのがシナイの荒れ野でした(申命記1章3節、2章7節、29章4節など)。確かに荒れ野は水も食料もなく、民は神の御前に不平を鳴らしましたが(出エジプト記16,17章、民数記11章など)、主なる神はその訴えに応えて、天からマナを降らせ、岩から水を出させ、うずらの肉をお与えになりました。

 荒れ野は、主が共におられて、その恵みを味わわせられる場所でした。エレミヤ書に、「民の中で、剣を免れた者は、荒れ野で恵みを受ける」(エレミヤ書31章2節)という言葉がありますが、まさに命を脅かされる荒れ野を通らなければ、味わうことの出来ない恵みがあるということです。

 今や、神の御子イエス・キリストがこの世に来られ、神の救いの御業を始められます。かつてなかった新しいことが始まったのです。こうしてヨハネは、主イエスが始められる新しい業のために、人々を荒れ野に招き、主イエスのための道を整えるのです。

 主の御声に耳を傾けましょう。その導きを受けて、絶えず新しい主の恵みに与りましょう。恵みを無にしないよう、主の御業に励みましょう。 

 天のお父様、あなたの御声を聴くために、私たちも荒れ野に退きます。私たちにも、モーセのように、またエリヤのように、あなたの御声を聞かせてください。そこで開かれる主の恵みに与らせてください。御旨を弁え、主の御業に励む者としてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン