「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない。子供たちがもういないから。」 マタイによる福音書2章18節

 2章には、ユダヤ人の王として生まれた主イエスを拝むため、東方の占星術の学者たちがベツレヘムを訪れたこと(1節以下)、ヨセフ一家がヘロデ王の手を逃れてエジプトへ行ったこと(13節以下)、帰国してナザレという町に住むようになったこと(19節以下)が記されています。そしてそれは、旧約聖書の預言の実現であると説明されています(6,15,18,23節)。

 エジプトへの逃避行について、それは勿論、手放しで喜べる状況などではありません。ヘロデの暴虐な行為から難を避けるための行動です。したくないといってすませることが出来ません。主イエスが生まれたベツレヘム周辺の2歳以下の男児が、一人残らず殺されたのです(16節)。天使の御告げ(13節)に従わなければ、主イエスも殺されていたでしょう。

 この悲劇について、エレミヤが語った預言の言葉が実現したと言われています(17節)。冒頭の言葉(18節)がエレミヤの預言とされるもので、エレミヤ書31章15節の引用文です。エレミヤ書31章には、イスラエルの民が味わうバビロン捕囚(紀元前597年~538年)の苦しみからの解放、特に、主なる神とイスラエルの民との「新しい契約」が語られています。

 新約の教会は冒頭の言葉を、主イエスの受難に関する預言の言葉として聞き直したわけです。預言がなされていたということは、しかし、神が悲劇を起こすように予定していたということではありません。神の計画が進むためには、このような犠牲がつきものということでもないでしょう。だから、預言されていたのだから、仕方がないということでもありません。

 もし自分がそこで殺された子どもの親ならば、神を呪うことさえするでしょう。どんな説明を受けても、到底納得することは出来ないでしょう。そんなことは起こってよいはずがありません。誰であれ、そのようなことをしてよいはずもありません。

 そこに起こった出来事は、神がなさりたくて起こしたものではありません。むしろ、神の救いの計画を妨げようと悪しき力が働き、御子イエスを亡き者とするために起こした事件です。神は悪しき力によって御子イエスが奪われることがないように、守り導いてくださったのです。

 それは、御子イエス一人を守ることではありません。ヘロデの犠牲となった2歳以下の男児やそれを悼む母親たちをはじめ、すべての民を救う神の救いの計画が実現するためです。引用されたエレミヤの次の預言で、「主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる」と語られています。

 やがて主イエスは、すべての民を救う命の道を開くため、十字架で贖いの死を遂げられます。なぜ、罪のない神の子が十字架で死ななければならないのでしょうか。それは、その方法以外に、神の愛を示し、救いの御業を完成する道がなかったからです。

 ヘロデほどではないにせよ、自己中心で神に背き、罪を繰り返す私たちが救われるためには、キリストの死による贖い以外に道がなかったのです。救い主が私たちの罪のために苦しみを受けること、木にかけられ、呪いの死を受けられることも、預言されていたことでした。神は、御自分の独り子を犠牲にして、すべての人々を救うご計画を立てられ、実行されたのです。

 この贖いの業を実現するため、即ち十字架で犠牲の死を遂げるために、その日まで主イエスは守られていたのです。なぜ神は、多くの幼子の命を守ってくださらず、慰めを拒むほどの悲しみを親たちに与えることを許されたのか、理由を説明出来ません。

 けれども、その苦しみは、十字架に死なれたキリストによって深く慰められ、その魂はキリストによって救われたと信じます。そして今、様々な苦しみの中にある方々のためにも、このキリストの下に癒しがあり、慰めがあり、苦しみから解放される道が用意されていると信じます。

 東方の占星術の学者たちが星に導かれて主イエスと出会いましたが(9節)、彼らは別の道、即ち占星術に頼るのではなく、神の御言葉に従って生きる道を選んで家路につきました(12節)。それにより、悪しき権力者ヘロデのところに戻らないようにされました。

 私たちも、インマヌエルと唱えられる主イエスと共に、御言葉に従って生きる道を歩むため、日々主の御言葉に耳を傾けましょう。その導きに従いましょう。

 主よ、御子イエスは私たちの苦しみを担い、病いを知っていてくださいます。キリストを通して、平和・平安が与えられ、癒しを頂きました。なお苦しみの中にある人々に平安を与え、解放を与え、癒しを与えてください。主とともに、命の道、救いの道を歩ませてください。全世界の救い主キリストによる平和と喜びが、すべての人々の上にありますように。 アーメン