「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。」 ミカ書6章8節
 
 6章には、裁判所での裁判の様子が描かれているようです。原告は神、その代理人・弁護士は預言者ミカ、山々、峰々が裁判官・証人、そして被告はイスラエルです。

 3節に、「わたしはお前に何をしたというのか。何をもってお前を疲れさせたのか」という神の訴えがあります。この言葉から、イスラエルの民が、神にはついて行けない、もう疲れたと不平を言っているということが想像されます。この背景には、度重なるアッシリアの攻撃があり、神がアッシリアの脅威を取り除いてくださらないことに対する不信、不満があるのではないかと思われます。

 それに対して、「わたしはお前をエジプトの国から導き上り、奴隷の家から贖った。また、モーセとアロンとミリアムを、お前の前に遣わした」(4節)と、主なる神がモーセらを遣わし、イスラエルの民をエジプトの奴隷の苦しみから解放されたことを語ります。

 続いて、「わが民よ、思い起こすがよい。モアブの王バラクが何をたくらみ、ベオルの子バラムがそれに何と答えたかを。シティムからギルガルまでのことを思い起こし、主の恵みの御業をわきまえるがよい」(5節)と、モアブ王バラクがイスラエルの民に呪いをかけようとして、預言者バラムがそれを祝福に変えたこと、また、シティムからギルガルへとヨルダン川をどのように渡ったのか、思い起こせと訴えます。

 6,7節は被告の反問で、ではどんな犠牲をささげればよいのかと問いかけます。当歳の子牛(今年生まれた子牛)をささげればよいのか(6節)と問うた後、幾千の雄羊、幾万の油の流れ(7節)と量を増やし、最後に、長子、胎の実をささげるべきかと言います。北イスラエルが滅亡する直前、子どもを火で焼いて犠牲にすることが流行りました(列王記下16章3節、17章17節)。

 それは、最も高い犠牲を払って、国難を去らせようとしてのことと考えられます。しかしながら、それは神の忌み嫌われる、モレクという異教の神に対して行う儀式でした(レビ記18章21節、20章2~5節、エレミヤ書7章31節など)。

 モレクとは、ヘブライ語の「王(メレク)」という言葉に「恥(ボシェト)」の母音をつけて発音したものです。それはアンモン人の神ミルコムのことで、ミルコムとは「王」という意味です(列王記上11章5,7節)。それを揶揄するように、「モレク(恥の王)」というように呼んでいるのでしょう。

 神の忌み嫌われる偶像礼拝、それも、子どもを火で焼いて犠牲にするというようなことで、どうして国難を去らせることが出来るでしょうか。「主は喜ばれるだろうか」と問われていますが、答えは「否」に決まっています。

 それに対して、冒頭の言葉(8節)が述べられました。神の求めは、いけにえをささげることではありません。「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと」を、主なる神は求めておられるのです。「正義」は「ミシュパート(公正、裁きの意)」、「慈しみ」は「ヘセド(慈しみ、善、誠実の意)」という言葉が用いられています。つまり、主が求めておられるのはいけにえではなく、神と人とに謙虚に仕えることなのです。

 これは、申命記で、「イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか」(10章12,13節)と語られている言葉と同様です。

 また、預言者サムエルがサウル王に告げた、「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(サムエル記上15章22節)という言葉を思い出します。

 9節以下は神による告発で、「正義」と「慈しみ」と「へりくだり」がいかに欠如しているかが述べられ、それゆえに滅びを刈り取らなければならないと告げられます。

 こうしてみると、イスラエルがエジプトの奴隷の苦しみから解放されて以来、神は一貫して同じことを民に求めておられ、それに対してイスラエルの民は、神を畏れず、不正を行い、偽りを語り、異教の神に心迷わされ続けて来たわけです。

 この言葉を聞いて、私たちはどうしたらよいのでしょうか。それはまず、神の恵みを数え、感謝をささげることです。また、神を愛し、隣人を愛することです。そして、怠惰と不従順を悔い改めることです。思い上がらず、主に従って歩み、顔を上げ、胸を張り、誠心誠意働かせていただきたいと思います。

 主の御名が崇められますように。主を信じ、主に仕える者たちによって、御心が地の上に行われますように。御言葉が聖であること、御言葉の内に命があることを、たえず弁えさせてください。主と共に歩む喜びと平安を常に味わうことが出来ますように。 アーメン