「まことに、痛手はいやし難く、ユダにまで及び、わが民の門エルサレムに達する。」 ミカ書1章9節

 著者のミカは、南ユダ王国の王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に活動した預言者です(1節)。彼らは、紀元前740年ごろから680年ごろまで南ユダ王国を統治していました。この時期、北イスラエル王国では、ホセアやアモスが預言者として働いていました。南ユダでは、イザヤと活動時期が重なります。

 勿論、ミカの活動がこの全時代に及ぶとは思われません。しかし、この時代は、ユダにとって激動の時代でした。長期安定政権を築いていたウジヤ王が亡くなって、その子ヨタムがその跡を継いで王となったとき、北にアッシリア帝国が勢力を伸ばして来ていて、ユダにとっても次第に大変な脅威となって来ました。

 アハズ王のとき、そのアッシリアと対抗するため、北イスラエルはシリアと同盟を組み、南ユダにもその同盟に加わるように申し入れてきました。アハズがそれを断ると、シリア・イスラエル連合軍がユダに攻め込んで来ました(列王記下16章5節、紀元前734年)。そのため、アハズはアッシリアに援軍を依頼します(同16章7節以下)。そして、紀元前721年に北イスラエル王国の首都サマリアがアッシリアによって滅ぼされたのです。

 ミカの活動は、おそらくサマリア陥落の少し前に開始されただろうと思われます。ユダは、シリア・イスラエル連合軍からは守られましたが、それ以後、アッシリアに従属させられることになり、その結果、アッシリアの神々を受け入れることにもなります(同16章10節以下)。

 アハズの死後、跡を継いだヒゼキヤ王は、国内に宗教改革を断行し、異教の神々を排除しました(同18章3,4節)。そして、紀元前704年、皇帝がセンナケリブに変わったのを好機と見てエジプトと結び、アッシリアに反旗を翻し(同18章7節)、独立を宣言します。

 初めは順調でしたが、やがてアッシリアの国力が増大し、ついにユダの防衛線が突破され(同18章13節)、エルサレムに迫ってきました。ヒゼキヤは莫大な賠償を支払うことになりました(同18章14節)。紀元前701年のことです。

 ミカ自身のことは、殆ど知られていません。しかし、エレミヤ書26章18,19節に「モレシェトの人ミカはユダの王ヒゼキヤの時代に、ユダのすべての民に預言して言った。『万軍の主はこう言われる。シオンは耕されて畑となり、エルサレムは石塚に変わり、神殿の山は木の生い茂る丘となる』と」と記されているように、ミカの活躍は1世紀経った後の時代にもはっきりと記憶されていました。

 ミカとは、「誰が主のようであるか」という意味の言葉(ミカイェフー)の短縮形で、ヘブライ語ではごく普通の名前のようです。旧約聖書に、ミカと称する人が9人います(士師記17章1節、サムエル記下9章12節、ネヘミヤ記10章11節など)。

 1節に、「モレシェトの人」という紹介があります。それは、14節に出てくる「モレシェト・ガト」のことと考えられ、エルサレムの南西約30キロの田舎町の出身者ということです。出身地で活動していれば、「モレシェトの人」と呼ばれることはないでしょう。ミカは、エルサレムで預言者として働いたので、他のミカなる人物と区別するために出身地をつけて、「モレシェトの人ミカ」と呼ばれたのでしょう。

 本書でミカは預言者と呼ばれてはいませんが、彼に幻を通してサマリアとエルサレムについての主の言葉が望んだと記されていて、確かにそれを民に告知することは、まさに預言者としての務めです。 サマリアは北イスラエル、エルサレムは南ユダの首都です。両首都についての預言ということですが、本来的には、エルサレムと南ユダ王国に向けてなされたものです。

 さて、5~7節にサマリアに対する裁きの言葉があり、次いで8,9節にユダのために悲しみ嘆く言葉があります。サマリアに裁きの手が降るときが来たこと、そして、その影響はユダにも無視できないことを示します。というのも、サマリアが裁かれるのは、ヤロブアム2世以来の神に対する背きの罪のためですが、ユダもそれと無縁ではないからです。

 ただ、神が正義を行われることに、喜びを感じておられません。神の心を支配しているのは、怒りではなく、悲しみです。「わたしは悲しみの声をあげ、泣き叫び、裸、はだしで歩き回り、山犬のように悲しみの声をあげ、駝鳥のように嘆く」と言われ、次いで冒頭の言葉(9節)のとおり、「まことに、痛手はいやし難く、ユダにまで及び、わが民の門エルサレムに達する」と語られています。

 ここに示される神の悲しみ、痛手は癒し難いものでした。それは、神がイスラエルの民を深く愛しておられるからこその嘆き、悲しみです。神の厳しい裁きの背後には、民を愛してやまない神の深い嘆きがあるのです。ということは、この預言は、単に裁きを告知しているのではなく、ユダの民が神に立ち返ることを求めて、神が忍耐をもって招いておられるのです。

 私たちも、愛の神を信じ、主の導きに絶えず従っていきたいと思います。愛する同胞の救いのため、執り成し祈りたいと思います。聖霊に満たされ、その力を受けて、救霊の業に励みたいと思います。

 主よ、私たちの町を、私たちの国を憐れんでください。御名のゆえに正しい道に導いてください。主こそ、私たちのまことの羊飼いだからです。主が愛と慈しみをもって、わが国、同胞を憐れみ、必ず救いの恵みをお与えくださると信じて、感謝致します。 アーメン