「主なる神はこう言われる。メシェクとトバルの総首長ゴグよ、わたしはお前に立ち向かう。」 エゼキエル書38章3節

 38,39章には、マゴグのゴグに対する預言が記されています。マゴグについて、創世記10章2節、歴代誌上1章5節に、ヤフェトの子孫と記されています。カスピ海と黒海の間のコーカサス地方のどこかにあったと考えられています。

 「メシェクとトバルの総首長」(2,3節)ということから、エゼキエルの時代、それらの町があるキリキアを支配していたのはバビロンだから、マゴグがバビロン、ゴグはネブカドレツァルということになりそうです。

 これまで何度もバビロンとネブカドレツァルに言及してきたエゼキエルが、ここでそれをマゴグとゴグと言い換える理由はよく分かりませんが、エゼキエル書中にバビロンの裁きについては全く触れられていないので、あるいは、バビロンの捕囚とされているエゼキエルが、バビロンの裁きをその名前で記すことはできなかったということかも知れません。

 37章において、「枯れた骨の復活」の幻を通して、神の民イスラエルの回復が語られました。この預言は実際に、ペルシアのキュロス王により、捕囚から解放されてエルサレムに戻り、神殿を建て直し、国を復興することが出来ました(歴代誌下36章22節以下、エズラ記1章1節以下)。

 そのとき、バビロンを滅ぼして新しい盟主となったペルシアの他、イスラエルの脅威となる国々が周囲に存在しています。そうした脅威に対して、イスラエルは「囲いのない国」、「城壁もかんぬきも門もない」、つまり、自分で自分を守る術を持たない国です。しかしながら、イスラエルの国は、そこで安らかに生活することが出来るというのです(11節)。

 彼らはバビロンによって攻め落とされ、一度エルサレムの都は廃虚にされました。けれども、再び建て直されて人が住むようになり、家畜や財産を持つようになると言われるのです(12節)。

 周囲の脅威が取り除かれたのではありません。攻めて来る国がなくなったからでもありません。城壁もかんぬきも門もないことに目をつけて、襲ってくる敵があります。それが、マゴグです。

 上で見たように、それがバビロンを示すものであるとすれば、それは実現不可能です。というのも、捕囚の民が解放されてバビロンからエルサレムに戻ることができたのは、ペルシアによってバビロンが滅ぼされたからです。だから、バビロンがまだ「城壁もかんぬきも門も」ないエルサレムに攻め上って来ることはあり得ないのです。

 ということは、どこと名指ししているのではなく、無防備に見えるエルサレムを襲い、戦利品を奪って欲しいままに略奪しようとしてやって来るものの総称をマゴグと呼び、その指導者・王をゴグと呼んでいると考えたらよいでしょう。

 黙示録20章8,9節に、「(サタンが)地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。その数は海の砂のように多い。彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、聖なる者たちの陣営と、愛された都とを囲んだ」と記されています。エゼキエルの預言が、ここに黙示として提示されているようです。

 マゴグとゴグが併記されるのは、エゼキエル書38章2節と黙示録20章8節の2箇所だけです。こう見ると、歴史的事実を指すというよりも、両者とも終末的黙示的な預言と言ってもよいのかも知れません。 

 ところで、襲って来る者がいる。しかし今、自分で自分を守る術がない。そのようなとき、どうしますか。とりあえず、頑丈な城壁を築きたいと思うでしょう。より強力な軍備を持ちたいと考えるかもしれません。

 かつて、北朝鮮が核で武装するなら、その対抗上、韓国に核兵器の配備をと、非核三原則の国是に反することを日本の国務大臣が言って、物議を醸したというニュースが流れたことがありました。今はむしろ、日本も核を保有すべきだという考え方をする政治家も、決して少なくないと思われます。そう考えるのが当然なのでしょうか。そうすべきなのでしょうか。

 北朝鮮による拉致被害というのは、まさに、囲いのない国で安らかに生活していた日本人に目をつけた、非道な行為です。それについて、国として、毅然とした対応を求めるのは当然と言わざるを得ません。ただ、70年前、アメリカの経済封鎖により、我が国は太平洋戦争へと突き進みました。それと同じ愚を繰り返さないよう、慎重に対応して欲しいと思います。

 聖書は、そこに神がおられるというのです。マゴグの王ゴグに対して、冒頭の言葉(3節)で、「わたしはお前に立ち向かう」と言われました。神は、イスラエルが囲いのない国、城壁やかんぬきや門がない国であることをご存知です。そして、そのような中で安らかに生活している民に目をつけて、略奪をほしいままにしようと目論む者がいることもご存知です。そこで神がゴグに立ち向かい、イスラエルを守ってくださるというのです。

 神様が味方してくだされば、それ以上に心強いことはありません。「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」(ローマ書8章31節)と、パウロが語っているとおりです。

 主イエスは、「わたしは羊の門である」と言われ(ヨハネ10章7節)、また、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(同11節)と言われました。主イエスが私たちの囲い、閂のある門となり、私たちを守るために命を捨ててくださるというのです。

 どんなときにも主に信頼し、御言葉に聴き従いましょう。軍事力によらず対話と協調で国政平和に貢献する国であり続けるよう、為政者たちのために祈りましょう。

 私たちの羊飼いとして、囲いとなり、門となってくださる主なる神様、心から感謝し、御名を褒め称えます。今日も私たちを御名のゆえに正しい道に導いてくださることを感謝します。私たちが道を外れないよう、絶えずお守ください。為政者たちが真理の道、平和の道を歩む舵取りをすることができるよう、お導きください。全世界にキリストの平和がありますように。 アーメン