「しかし、終わりの日に、わたしはエラムの繁栄を回復すると、主は言われる。」 エレミヤ書49章39節

 49章には、アンモンの人々に向かって(1~6節)、エドムに向かって(7~22節)、ダマスコに向かって(23~27節)、ケダルに向かって(28~33節)と、イスラエルと国境を接する諸国民に対する預言が語られて、最後に、エラムに向かっての預言(34~39節)が記されます。

 アンモンは、エルサレムの東方60㎞のラバを首都とするヨルダン川東部地域の国です。エドムはパレスティナの南南東、死海の南からアカバ湾に至る地域で、「セイルの地、セイル山」と呼ばれることもあります。ダマスコは、ヘルモン山の東方、シリアの中心都市です。ケダルは、パレスティナからメソポタミアに至るシリア・アラビア砂漠の遊牧民です。

 そしてエラムは、バビロンの東、ペルシア湾の北に位置する国です。創世記14章1節に、「エラムの王ケドルラオメル」の名があり、これは実在の人物ですが、ケドルラオメルがパレスティナに攻めて来たという考古学的な証拠は、まだ見つかっていないようです。

 なぜ、このはるか東方の国への預言が、イスラエルに国境を接する国に混じってここに記されているのか、定かではありませんが、「ユダの王ゼデキヤの治世の初め」(34節)という時期、バビロンの記録によると、ネブカドレツァルは、チグリス川の東から攻撃され、これに反撃したそうです(紀元前596~595年)。

 これがエラムによる攻撃ではないかと考えられ、そこで、ネブカドネツァルが東に軍を動かさなければならない事態になり、そのために、はるか西方のパレスティナ、イスラエルへの目配りは、疎かになったものと思われます。

 それを機に、イスラエル国内の親エジプト派がゼデキヤにバビロンに反旗を翻すように、強く求めたのかもしれません(列王記下24章20節)。即ち、バビロンがエラムとの戦いに戦力を割き、それが続くことで、国力を弱めてしまうことになる、あるいは、エラムがバビロンに打ち勝つかも知れないと期待したわけです。 

 それに対して、主は、「わたしは、エラムの弓、彼らの最上の武器を折る」(35節)と語られます。イザヤ書22章6節に、「エラムは矢筒を取り上げ」とあり、彼らは弓の名手であったように読めます。その最上の武器が折られるということで、神がエラムを打たれること、それゆえ、エラムに期待し、あるいはエジプトを頼りとして、バビロンに反旗を翻すという判断は誤っているということを、ここに示しておられるといってよいでしょう。

 38節に、「わたしはエラムから王と貴族を滅ぼし、そこに、わたしの王座を据えると、主は言われる」と記されています。ここで、「わたしの王座を据える」とは、主を神とする王朝が誕生するということではなく、主がエラムを滅ぼすために、そこで裁きの座に着かれるということでしょう(1章15節など参照、岩波訳「わたしは、わが玉座をエラムの中に据え、そこから王と高官たちを滅ぼす。-ヤハウェの御告げ-」)。

 ところが、この預言の最後に、冒頭の言葉(39節)のとおり、「しかし、終わりの日に、わたしはエラムの繁栄を回復すると、主は言われる」(39節)と語られます。

 「わたしは彼らの後ろに剣を送る、彼らを滅ぼし尽くすまで」(37節)と言われていたのに、最後に「繁栄を回復する」と言われるのは何故でしょうか。これは、モアブに対する言葉の最後(48章47節)、そして、アンモンに対する言葉の最後にもありました(6節)。

 モアブとアンモンは、アブラハムの甥ロトの子孫でした。そしてエラムについて、創世記10章22節によれば、セムの子孫とされています。つまり、セムの子アルパクシャドの子孫であるアブラハム(同11章10節以下、26節)の親族ということになりそうです。だから、アブラハムのゆえに、神の選びの民ではないエラムを憐れまれるというのでしょうか。

 イザヤ書21章2節に、「欺く者は欺き続け、荒らす者は荒らし続けている。上れ、エラムよ、包囲せよ、メディアよ、わたしは呻きをすべて終わらせる」と語られています。この「欺く者」、「荒らす者」とは、バビロンのことです(同9節)。神が、エラムとメディアに呼びかけて、バビロンを攻めさせ、打ち倒されるという預言が、ここに語られています。

 バビロンの王ネブカドレツァルを「わたしの僕」と呼ばれた神ですが(25章9節、27章6節、43章10節)、そのバビロンを滅ぼすために、裁きの座を置いて滅ぼし尽くすまで剣を送ると言われたエラムに向かって、「上れ」と呼び起こされるのです。

 神に呼びかけられたエラムとメディア、即ちペルシアによってバビロンが倒された結果、捕囚のイスラエルの民は解放され(紀元前538年)、帰国を許されて、エルサレムの神殿を再建します。かくて、主なる神はあらゆる国民を御自分の計画のために意のままに用いられ、そしてそれは、イスラエルと無関係ではないことが示されます。

 深い憐れみをもって私たちを招き、御業のために呼び出してくださる主なる神に素直に耳を傾け、導きに従って歩みましょう。 

 主よ、エラムを憐れみ、用いられたように、私たちにも目を留め、御旨を行うために選び立ててくださったことを感謝します。私たちが選ばれたのも、あなたの憐れみ以外の何ものでもありません。主よ、どうかこの国を憐れみ、聖霊の風を吹かせ、救霊の働きを前進させてください。私たちの教会をリバイブし、御業のために用いてください。御名が崇められますように。 アーメン