「わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。」 エレミヤ書29章7節

 エレミヤは、第一次バビロン捕囚(BC597年)で連れて行かれた長老、祭司、預言者たち、及び民のすべてに手紙を書き送りました(1節)。それは、「家を立てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない」というものです(5,6節)。

 8節に、「あなたたちのところにいる預言者や占い師たちにだまされてはならない。彼らの見た夢に従ってはならない」と記しているということは、捕囚の民の間に、バビロンからすぐにエルサレムに戻れると考える立場の者がいたわけです。

 それは、28章2節以下で預言者ハナンヤが、主が2年の内にバビロンの王の軛を打ち砕き、捕囚の民を神殿祭具と共に帰らせてくださると預言したのと同様に、エコンヤ王と共に捕囚となった者たちの中に偽りの預言者や占い師たちがいて、捕囚の民に偽りの預言を語っていたのです(21節、24節以下)。

 さらに、彼らはそうした預言に基づいて、謀反などを計画していたようです。だから、バビロンの王が彼らを捕囚民の前で、火あぶりにされたのでしょう(22節)。また、そうした偽預言者の中には、エレミヤを取り締まり、手枷足枷をはめるよう、書き送ってくる者もいました(26節以下)。

 エレミヤが手紙を持たせたのは、ゼデキヤ王がバビロンの王ネブカドネツァルに遣わした二人の使者たちでした(3節)。ゼデキヤの使者がエレミヤの手紙を携えているということは、王がその手紙の内容を了解していることをあらわしていると考えるべきでしょう。それによって、ゼデキヤは、バビロンに弓引く意志がないということを示したわけです。

 また、使者として派遣された一人が「シャファンの子エルアサ」と記されています。エレミヤはかつて、ヨヤキム王に命を狙われた際、シャファンの子アヒカムによって保護されたことがありました(26章24節)。エルアサはその兄弟ということでしょう。であれば、エレミヤは安心して手紙を託すことが出来たでしょう。

 そういう人物をゼデキヤが選んで使者としたと考えると、ゼデキヤはそのとき、エレミヤと歩調を合わせていたということになるのではないでしょうか。

 エレミヤは、冒頭の言葉(7節)のとおり、「わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちのも平安があるのだから」と告げます。神の御心は、捕囚の民がバビロンで、平安のうちに70年のときを過ごすことです(10節参照)。

 70年は、完全数の「7」と「10」を乗じた年数ですから、神の定めた期間が満ちることを示します。また、70年は人の一生を示す期間であり、捕囚として連行された人々がそこで一生を過ごす間という表現と考えてもよいでしょう。

 西南学院大学名誉教授の関谷定夫先生は、「ベルゼブルとイェシュアの指導によって、ダレイオス1世の治世第6年の前515年にやっと第2神殿が完成した。・・それは第1神殿が破壊されてから70年目のことである。これはエレミヤが捕囚期間を70年と預言したことと対応する。つまりエレミヤの預言した70年とは、第2神殿の完成までを捕囚とみなした事後預言と見なされる」(『図説・旧約聖書の考古学』P.223)と述べておられます。

 神はイスラエルの民に、捕囚を「災い」と考えるのではなく、そこで、新しい将来と希望を与える「平和の計画」が実行されていることを学びぶよう求めます(11節)。それゆえ、「町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい」と主に命じられるのです(16節)。

 これはしかし、驚くべき言葉でしょう。祖国を滅ぼし、自分たちを捕囚として様々な苦しみを味わわたバビロンのためには、その滅亡を願う呪いにも似た祈りをささげてもおかしくありません。しかしながら、バビロンの町の平安が、捕囚の民の平安につながるからと説明されています(7節後半)。「平安」と訳されている「シャローム」は、「繁栄」をも意味します(新改訳はそう訳します)。

 そして、「そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう」(12~14節)と言われます。即ち、ここでバビロンの平和を祈り求めることこそが、神を尋ね求め、主と出会う道であると言われているわけです。

 これは、主イエスが、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ福音書5章44節)と語られた言葉につながります。主イエスは、その御言葉どおりに歩まれました。そうして、私たちが父なる神と出会い、交わることが出来るように、私たちのための「道」となってくださったのです(ヨハネ福音書14章6節)。

 主に倣い、御言葉に従って、すべての人々の平安と祝福を祈りましょう。

 主よ、敵を愛し、迫害する者のために祈るのは、たやすいことではありません。しかし、主はそれを自ら実践されました。それによって、私たちは罪赦され、神の子とされ、永遠の命を受けるという恵みに与ったのです。祝福を受け継ぐ者として、御言葉に従い、平和と祝福を祈らせてください。そのために、聖霊の力と恵みに満たしてください。御心が行われますように。御国が来ますように。 アーメン