「ぶどう畑に上って、これを滅ぼせ。しかし、滅ぼし尽くしてはならない。つるを取り払え。それは、主のものではない。」 エレミヤ書5章10節

 1節で、「エルサレムの通りを巡り、よく見て、悟るがよい。広場で尋ねてみよ、ひとりでもいるか、正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたしはエルサレムを赦そう」と言われます。これは、創世記18章で、ソドムの町のために執り成すアブラハムの言葉を思い出します。

 アブラハムは主に向かい、「あなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか」(同23,24節)と尋ね、「正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう」(同26節)という答えを引き出します。

 それから、45人、40人、30人、20人、最後は10人にまで数字を減らしました。しかしながら、ソドムの町に10人の正しい者を見出すことは出来ませんでした。その結果、ソドムの町は滅ぼされてしまいます。

 1節では、「ひとりでもいるか」と神が尋ねられています。これは、「ひとりもいない」ということです。「いれば赦そう」と言われますが、結局、赦せないということになります。ソドムの町が滅ぼされたのも、そこに一人も正しい者がいなかったからでしょう。アブラハムの甥ロトとその家族がいましたが、彼らを正しい者とカウントすることが出来なかったわけです。

 さらに、そのように執り成していたアブラハム自身、自分がその正しい者の一人でないことを自覚していたのではないかと思います。それゆえ、わたしに免じて、ソドムを赦してくださらないかと主に願うことも出来なかったのです。

 5節に、「『身分の高い人々を訪れて語り合ってみよう。彼なら、主の道、神の掟を知っているはずだ』と。だが、彼らも同様に軛を折り、綱を断ち切っていた」と言われます。正義と公正をもって国を治めるべき王や祭司、預言者らも、神の目に、正義を行い、真実を求めるものではなかったというのです。

 当時、聖書を手にとって読むことが出来たのは、祭司と王だけです。つまり、祭司や王は、イスラエルの民が神の御言葉に聴き従うよう教え導く務めを担っていたわけです、だから、彼ら自身が御言葉に倣い、御言葉に生きつつ、民にもそうするように教えなければ、イスラエルの民は、主の道、神の掟を学ぶ術を持ち得ませんでした。

 そこで神は、冒頭の言葉(10節)にあるとおり、「ぶどう畑に上って、これを滅ぼせ」と言われます。5章7節に「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑」と言われていたとおり、「ぶどう畑」とはイスラエルのことを指しています。「つるを取り払え。それは主のものではない」と言われていますので、幹だけにするということでしょう。

 主イエスが、「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」(ヨハネ福音書15章1節)と言われ、続いて「わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる」(同2節)と言われました。

 この関連から、実を結ばないイスラエルは、取り払われてしまうことになります。そして14節で、「この民を薪とし、それを焼き尽くす」というのですから、取り払われた枝が、燃やされてしまいます(ヨハネ15章6節も参照)。そのように、北からの脅威バビロンによってイスラエルは略奪され、焼き滅ぼされてしまうのでしょう。15~17節にそれが語られます。

 神の怒りを買い、イスラエルもこれでおしまいかと思いきや、神は、「しかし、滅ぼしつくしてはならない」(10節)と言われます(18節、4章27節も参照)。これは、イスラエルの民が全滅させられるのではなく、捕虜としてバビロンに連れて行かれること、即ちバビロン捕囚のことを預言しているのです。

 それは、捕囚の民がエレミヤに、「何故、我々の主なる神はこのようなことを我々にされたのか」と尋ねるなら、「あなたたちはわたしを捨て、自分の国で異教の神々に仕えた。そのように、自分のものでない国で他国民に仕えねばならない」と答えよと、19節に記されているからです。

 これは、異教の神を慕って偶像礼拝をすれば、異国の奴隷にされるという因果応報の教えですが、しかし、徹底的に滅ぼし尽くしはしない、捕囚の民としてイスラエルの「残りの者」(イザヤ書4章3節、10章20,21,22節など)が生き残り、彼らにおいてイスラエルの未来が開かれます。それは、まさに主が慈しみ深く(3章12節)、イスラエルを憐れまれるからです(4章19節参照)。

 十字架に示された主の深い憐れみにより、その恵みに生かされた者として、主の御言葉に耳を傾けましょう。主の御業に目を留めましょう。主の御心を行う者とならせていただけるよう、御霊の導きを祈りましょう。

 主よ、あなたから離れては、実を結ぶことが出来ません。さらに豊かに実を結ぶために手入れをなさると言われています。どうか、あなたにふさわしくないものを私たちから取り除いてください。御言葉と御霊によって清めてください。主の十字架を仰ぎます。御言葉を慕い求めます。御霊に満たし、導きに従って歩ませてください。 アーメン