「ヒゼキヤはイザヤに、『あなたの告げる主の言葉はありがたいものです』と答えた。彼は、自分の在世中は平和と安定が続くと思っていた。」 イザヤ書39章8節

 本章は、列王記下20章12節以下とほぼ同じです。ヒゼキヤの病気が回復したと聞いたバビロンの王メロダク・バルアダンが使者に手紙と贈り物を持たせ、遣わしました(1節)。それに気をよくしたヒゼキヤは、宝物庫、武器庫、倉庫にある一切のものを彼らに見せたと言われます(2節)。イザヤは、見せたものすべてがバビロンに奪われる日が来ると、ヒゼキヤに告げます(3節以下、6節)。

 ヒゼキヤの召天が紀元前687年頃であれば、寿命が15年延ばされたということですから、メロダク・バルアダンが使節を遣わしたのは前702年頃になるでしょうか。

 メロダク・バルアダンは、紀元前721年にアッシリアの王位継承(シャルマナサルの急死でサルゴンが即位)の混乱に乗じてバビロンを支配しました。サルゴンに追われ、逃亡しますが、サルゴンの死後、センナケリブの即位の翌年(前704年)、西方諸国に反アッシリア同盟の結成を呼びかけています。しかし、701年にセンナケリブによって滅ぼされてしまいました。

 つまり、ヒゼキヤのもとにやって来た病気見舞いの使節は、本当は、反アッシリア軍事同盟の締結のためにやって来たわけで、ヒゼキヤが使節を歓迎したということは、同盟が締結されたということです。だから、イザヤはそのことを批判して、この軍事同盟が、やがて南ユダがバビロンに滅ぼされる結果となるというのです。

 ヒゼキヤの父アハズが採った親アッシリア政策、すなわち、シリア・エフライム連合軍に対抗するためにアッシリアに貢ぎを贈って援護してもらうことで、危機を回避することが出来ましたが(列王記下16章5節以下)、この朝貢外交は国家財政を圧迫しただけでなく、アッシリアの神アッシュール礼拝を強要されるようになったのです。列王記下16章10節以下に記されているのは、そのことです。

 ヒゼキヤは、サルゴンの死に伴う王位継承の時に朝貢をやめ、宗教改革、即ち、エルサレム神殿からアッシュール神や他の神々の像や祭壇を取り除く宮清めを断行しました(列王記下18章3節以下)。その背後に、預言者イザヤの指導があったと思われます。そして、それに従うヒゼキヤにイザヤは大きな期待をしていたと思います。

 ところが、アッシリアのサルゴンによって追放されていたメロダク・バルアダンがサルゴンの死後立ち上がり、反アッシリア同盟を呼びかけると、イザヤの反対を押し切って同盟に加わることにしてしまいました。それでイザヤは、異教の神々を礼拝し続けていた北イスラエルがアッシリアに滅ぼされ、捕囚とされたのと同じ運命が、南ユダにも及ぶと告げるわけです。

 財宝がすべて奪われ(6節)、さらに、息子の中に、バビロンの宦官として連行される者もあると語られたとき(7節)、ヒゼキヤは冒頭の言葉(8節)のとおり、「主の言葉はありがたいものです」と返答します。まるで反省する様子もありません。すべて奪われ、家系が途絶えるかもしれないと聞かされて、何が「ありがたい」のでしょうか。自分さえ安泰であれば、子孫はどうでもよいというのでしょうか。

 ただ、これはヒゼキヤの増長というよりも、当時のイスラエルが置かれていた環境の厳しさということでしょう。生き残りをかけて、どこと同盟し、軍事協定を結ぶのか、始終周囲に目を配っている必要があり、ヒゼキヤには気の休まるときもなかったことでしょう。自分の時代、アッシリアから守られるのであれば、王としての責任は果たせると考えたのかもしれません。

 同様に、イスラエルの民も今を生きることに必死で、他人のことよりもまず自分のこと、15年後のことなどではなく、まずは自分の目の前にある問題に対処することしかなかったのでしょう。

 しかし、イスラエルの王という立場の者が間違えば、国を危うくします。ヒゼキヤの瀕死の病は、イスラエルの国の状況とも言えます。ヒゼキヤの祈りを受けて神が寿命を15年延ばされたように(38章5節)、絶体絶命の危機にあったイスラエルは、イザヤの執り成しを通して、奇跡的な救いを味わいました(37章16節)。

 けれども、それは期限付きのもので、バビロンの使節派遣によって、「神はヒゼキヤを試み、その心にあることを知り尽くすために、彼を捨て置かれた」(歴代誌32章31節)とされ、相応しく対応出来なければ、イザヤが告げたとおり、バビロンによって滅ぼされ、すべてのものが奪われてしまうことになるのです。

 ヒゼキヤは、どうすればよかったのでしょうか。それは、癒しを与えてくださった神に感謝すること、栄光を神に帰すことです。彼が誇るべきは、主の恵み、慈しみでした。そして、どんなときに喪主なる神に信頼をおくことです。バビロンの使者に対して、宝物庫の財宝や武器庫の武具、武器などではなく、主なる神を信じる信仰の喜び、主に依り頼むことの確かさ、主に結ばれている平安な様子を見せなければならなかったのです。

 30章15節で「お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」と言われていたとおりです。それが出来なかったところに、ヒゼキヤの、そしてわたしたちの弱さがあります。そして、その弱さを克服することは、容易に出来るものではありません。

 パウロが、「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。・・・なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(第二コリント書12章9,10節)と言っています。それこそ、私たちは自分の弱さを主に委ね、主の守りを祈り求め、その導きに従うほかありません。

 主の憐れみを受け、神の子として生かされている私たちは、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝するという信仰の姿勢を、周りの人々に示して行くことが、主なる神によって求められています(第一テサロニケ書5章16~18節)。

 日々主の御言葉に耳を傾け、その御心を知り、聖霊の導きに従って歩むことが出来るよう、喜びと感謝を込めて主の導きを祈り求めましょう。

 主よ、私たちは自分のしていることが分かりません。なさんと欲する善はなす力がなく、欲しない悪は、それをしてしまいます。まさに、罪人の頭です。どうか憐れんでください。助けてください。導いてください。私たちの内に、清い心、新しい霊を授けてください。主の恵みと平安が常に私たちと共にありますように。その恵みを周囲の人々に証しする者とならせてください。 アーメン