「ヒゼキヤは言った。『わたしが主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか』。」 イザヤ書38章22節

 ヒゼキヤが死の病にかかり、イザヤから死の宣告を受け、それに対してヒゼキヤが主に祈ると、主はその祈りを聞いて寿命を15年延ばされるという本章の記事は、列王記下20章にもあります。

 ただし、21,22節の言葉は、列王記下20章の記事に従えば、6節と7節の間に置かれることになります。それが、今の位置に置かれることになった理由は何でしょうか。

 列王記下20章では、癒しの約束に対してヒゼキヤがしるしを求め、日時計の影を10度後戻りさせるというしるしが与えられたとされますが、イザヤでは、癒しの約束に続いて、しるしが与えられ、「ヒゼキヤの詩編」(9~20節)が詠まれた後に回復して(21節)、そして、ヒゼキヤのしるしを求める言葉で終わっています。

 内容的に考えると、イザヤ書の編者が、列王記の記事(1~8節)に「ヒゼキヤの詩編」(9~20節)を導入した際、何故か、ヒゼキヤのしるしを求める言葉など(21,22節)を間違って「ヒゼキヤの詩編」の後ろに配置してしまったということなのでしょう。

 また、「ヒゼキヤの詩編」がヒゼキヤ王の作なのか、あるいはイザヤによる作文なのか、あるいは、どちらでもないのかなど、詳しいことは何も分かりません。それこそ、イザヤに聞いて見たいところです。

 列王記の記者は、ヒゼキヤについて、「彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目に正しいことを行い」と記しており(王下18章3節)、理想的な王として描いています。国内から徹底的に異教の偶像を排除したということから(同4節)、そのように語られることについて、ことさらに異論を差し挟むものではありません。

 しかしながら、王下20章12節以下、バビロンからの見舞い客を迎えたとき、ヒゼキヤの心が完全に主と結びついていたのかといえば、それをイザヤから厳しく咎められていることから、そうではなかったと言わざるを得ません。小国の南ユダが近隣諸国と渡り合っていくために、どうしても右顧左眄せざるを得なかったのでしょう。

 そうしたことを考えると、なぜ冒頭の言葉(22節)が列王記のように、7節の前に置かれないのかということについて、なにやら理由があるようにも思えて来ます。それは、ヒゼキヤの父アハズが、「主なるあなたの神に、しるしを求めよ」と語るイザヤに対して、「わたしは求めない。主を試すようなことはしない」と答えてその言葉に従わなかったという出来事があったからです。

 それと同じように、主が日時計の影を10度後戻りさせるという「しるし」について語られ、それが実現したにも拘わらず、ヒゼキヤは「わたしが主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか」とあらためて尋ねているわけです。

 即ち、アハズもヒゼキヤも、語っている言葉は一見信仰深い言葉に聞こえるけれども、どちらも神の言葉を注意深く聞いて、それに忠実に従おうとしてはいないという批判が、もしかすると、ここで表明されているのではないでしょうか。

 私たちはしかし、ヒゼキヤを批判できません。口では信仰深そうなことを言うことは出来ますが、生活で、日ごろの行いでそれを否定するところがあります。見られるところは整えますが、見られないところはいい加減になってしまいます。まことに不徹底です。

 ヒゼキヤが、死の病が癒されて再び公務につけるようになるのは、それは、ヒゼキヤが「まことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきた」(3節)からと読めますが、訴えるヒゼキヤに目を留めてくださった主なる神の憐れみがあればこそです。

 神は、私たちに対しても、絶えず憐れみをもって語りかけ、礼拝へと招いていてくださいます。パウロが、「神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ書12章1節)といっています。

 ここで、「憐れみ」には複数形が用いられています。何度も何度も呼びかけ、私たちのなすべき礼拝へと招いてくださっているということです。私たちに与えられたキリストの十字架というしるしを胸に、絶えず主の神殿に、神の宮に上りましょう。

 主よ、私は罪人です。私の罪を赦してください。私はあなたを必要としています。あなたの招きに従い、心の扉を開きます。どうか私の心の真ん中に、その王座にお着きくださり、あなたの望まれるような者に造り変えてください。絶えず十字架の主の御顔を拝し、御言葉に聴き従って、神に喜ばれる礼拝を行うとが出来ますように。 アーメン