「自分を賢者と思い込んでいる者を見たか。彼よりは愚か者の方がまだ希望が持てる。」 箴言26章12節

 26章は、三部に分けられます。第一部(1~12節)は「愚か者」についての格言、第二部(13~16節)は「怠け者」についての格言、そして第三部(17~28節)には「欺き」や「陰口」、「唇」、「うそをつく舌」など、発言に関する格言が並んでいます。

 第一部で、4節に「愚か者にはその無知にふさわしい答えをするな」とあり、続く5節には「愚か者にはその無知にふさわしい答えをせよ」と記されていて、相矛盾した格言が肩を並べています。ということは、この二つは、絶対的な言葉ではないことを示しています。

 つまり、愚か者とされる人に対して、どんな場合でも一つの対応をとるというのではなく、ある時には、その無知にふさわしい答えをしてはならず、またある時には、その無知にふさわしい答えをしなければならないというわけです。であれば、ふさわしい答えをすべきなのか、そうすべきではないのか、いずれの対応をするべきかを弁える知恵を得る必要があるということになります。

 そうすると、ここに集められているその他の格言も、いずれも律法主義的に読まれるべきではなく、人を生かす言葉として、そのときどきに知恵をもって読まれなければならないわけです。

 「無知にふさわしい答えをするな」とは、「ネコに小判」、「馬の耳に念仏」といった言葉を連想しますが、「あなたが彼に似た者とならぬために」という言葉から、無知な人の相手をするな、愚か者の仲間になるなという意味になります。

 一方、「無知にふさわしい答えをせよ」とは、「彼が自分を賢者だと思い込まぬために」というのですから、彼の無知、言葉の誤りなどを正しく指摘してやりなさいという意味でしょう。

 「愚か者」シリーズの最後に、冒頭の言葉(12節)の通り、「自分を賢者と思い込んでいる者を見たか。彼よりは愚か者の方がまだ希望を持てる」と記されています。賢者と思い込んでいる者よりも愚か者の方がまだましということは、「自分を賢者と思い込んでいる者」が、最上級の愚か者であるということになります。

 5節との関連で、愚か者の中には、自分の誤りや無知を指摘してくれる人の言葉を聞いて、自分が賢者だと思い込まないように出来る者がいると考えられます。であれば、自分が賢者だと思い込んでいる者は、他者の意見や忠告に耳を貸そうとしないということになります。それで、自分の無知を悟らず、その誤りを修正することが出来ないので、最も愚かな者ということになるわけです。

 16節にも、「怠け者は自分を賢者だと思い込む。聡明な答えのできる七人にもまさって」とあります。「七人」は完全数ですから、すべての賢者を意味すると解することが出来ます。怠け者は、自分の賢さが聡明な答えの出来るすべての賢者に勝るというのですから、自分が世界で一番の賢者と思い込むということですね。

 つまり、聡明な答えをする訓練や努力を怠り、そうした賢者の言葉に耳を傾けないということは、自分が一番の賢者だと思い込んでいるだけの怠け者であり、冒頭の言葉との関連で言えば、怠け者でいるよりも、愚か者と呼ばれる者の方がまだ希望が持てるということになるわけです。

 というのは、自分の知恵が足りないと自覚すれば、知恵を得るために努力するでしょう。そして、賢者の言葉に耳を傾けることが期待されるからです。

 「(偶像に供えられた肉について言えば、)『我々は皆、知識を持っている』ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです」と、使徒パウロが語っています(第一コリント書8章1,2節)。

 即ち、真の知識は、神を愛する愛に基づくものであり(同3節)、しかもそれは、「神に知られている」という知識なのです。それに対して、他者を見下げておのが知識を誇る者は、高ぶっているということです。

 かくて、聖書が語る賢者とは、多くの知識を持っている者ということではありません。主を畏れ、神と隣人を愛する者を、賢者と呼んでいるのです。主を畏れる者は、自分の弱さ、愚かさ、罪深さを悟ります。ゆえに神の憐れみを求めて主の御前に進みます。他者の忠告に耳を傾けます。主の導きに従います。そして、主から愛されていることを悟り、主を愛する者となります。

 愚か者、怠け者とならないよう、自らの弱さ、愚かさ、罪深さを知って、主の十字架を拝しましょう。主の愛と恵みに与らせていただきましょう。そうして、主を愛する者とならせて頂きましょう。

 主よ、御言葉を感謝します。自分が、知らねばならぬことをまだ知らない、愚かな者であることを教えて頂きました。主を愛し、御言葉を慕い求めます。まことの知恵と知識の富をうちに持つ主イエスの御言葉に耳を開かせ、その御心を深く悟らせてください。 アーメン