「わたしはそれに心を向け、観察した。それを見て、諭しを得た。」 箴言24章32節

 23節から、「賢人の言葉(2)」(23~34節)の段落です。「これらもまた、賢人の言葉である」(23節)というのは、この段落の裁判に関する言葉(23~29節)と畑での労働に関する言葉(30~34節)を、前段(22章17節~24章22節)の教えと結びつけるための編集者による挿入と考えられています。

 冒頭の言葉(32節)で、「わたしはそれに心を向け、観察した」と言っていますが、ここで賢人が観察したのは、30節に記されている「怠け者の畑」、「意志の弱い者のぶどう畑」でしょう。

 そして、そこから得た「諭し」というものは、「(怠け者、意志の弱い者は)しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく横になる。貧乏は盗賊のように、欠乏は盾を取る者のように襲う」(33,34節)というものでした。

 この教訓は、6章10,11節にも記されており、そこでは、怠け者が知恵を得るように、蟻のところに行って見よと言われています(同6節)。

 確かに、教訓は書斎でだけでなく、人がその気になれば、どんな場所、どんなものからでも学ぶことが出来るものです。ニュートンは、リンゴが木から落ちるのを見て、そこから万有引力の法則を見出しました。私などは、それを何百回見たとしても、ただ、「リンゴが落ちた、それがどうした」と思うだけでしょう。

 作物が何も穫れないのを、天候のせいにしたり、環境のせいにするのは簡単です。雨が降らなかったから、日照りが続いたから、そして、灌漑の水を引こうにも場所が悪過ぎるからなどと言って何の工夫も努力もしなければ、永久に収穫を見ることは出来ません。

 5年前の震災と原発事故で、生活を破壊されたままの人々がおられます。震災がなければ、原発事故も起きなかったかも知れません。震災と津波に関しては、誰にも責任がないのかも知れませんが、それ以後、放射能汚染は続いています。だれが被爆から守ってくれるのでしょうか。「アンダーコントロール」と強弁した首相、そして政府は、何をしようとしているのでしょうね。
 
 今日、高梨沙羅選手が女子ジャンプ・ワールドカップ蔵王大会で優勝、6戦中5勝で現在4連勝中という絶好調。昨年は中盤、表彰台に登れない試合が続き、オーストリアのダニエラ・イラシュコ=ショトルツに総合優勝の座を明け渡しましたが、今年はさらに進歩した姿を見せつけています。

 また、世界ランキング7位の錦織圭選手が、全豪オープン3回戦でスペインのガルシアロペス選手をセットカウント3対1で下し、五年連続ベスト16に入る4回戦進出を果たしました。

 そのほか、世界で戦っている日本人選手の活躍を見るのは、本当に嬉しいものです。しかし、その陰には、素人には想像出来ないような練習や工夫が積み重ねられているのでしょう。誰もやらないようなことに挑戦しているからこその快挙というべきであり、ということは、人一倍失敗を重ね、それを成功のバネにしているわけです。
 
 誰もがワールドカップで金メダルを獲得する活躍が出来るわけでもありませんし、表彰されるような技術や知識を発見、獲得出来るわけでもありません。しかし、神は私たちがナンバーワンになろうとすることよりも、オンリーワンであることを自覚して、託されている賜物を互いに生かし合って、主の使命を全うすることを願っておられます。

 「知恵ある男は勇敢に振舞い、知識ある男は力を発揮する」(5節)と言われています。主なる神を畏れることが知恵の初めですから、主の御前に謙り、なすべき務めが何か、いかになすべきか、主の御声に耳を傾けましょう。

 「怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」とパウロが勧めています(ローマ書12章11,12節)。これを記しているパウロ自身が、言葉だけでなく、行動で、その生活を通して、かくのごとく歩んでいたわけです。

 私たちも、頻発する災害や事故を他人事とせず、上からの知恵と力を頂きながら、怠らず励み、希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈る者とならせていただきたいものです。

 主よ、怠惰な僕をお赦しください。絶えず目覚めて主の御声に聴き従うことが出来ますように。聖霊に満たされ、力を受けて、主の御用に励むことが出来ますように。これから着実に歩みを進めるため、明確なビジョンを与えてください。計画を具体的に推進することが出来ますように。感謝と喜びの賛美を捧げて、御名を褒め称えさせてください。 アーメン